世の多くの人が、岡野工業の岡野雅行社長を「日本一のプレス職人」と呼ぶ。確かにそうなのだろう。誰が試みてもできない加工をいとも簡単にやってのけてしまうのだから。

 しかし、岡野さんをプレス職人とだけ定義づけるのは間違っている。決められたプレス成型品の加工精度や時間を競うだけなら、もっと腕の立つ職人は何人もいる。

 岡野さんの真骨頂は、今まで不可能と思われていた加工に次々と挑戦しては成功させてしまう点にある。職人というよりも発明家と呼んだ方が正確だろう。

発明家の虫がうずき、痛くない注射針に挑戦

 例えば最も有名なのが、テルモと共同開発した「ナノパス33」(通称「痛くない注射針」)。根元から徐々に細くなっていく注射針を、一枚のステンレス板をプレス機で丸めて作るという画期的な商品だ。

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 ただの円筒形ならまだしも、円錐状の注射針を長方形の板を叩いて丸めるだけで完成させる。余分な切れ端を一切出さず、接合面はぴったりくっついて溶接しなくても液漏れしない(実際の商品は薬事法上の理由で溶接処理されている)。

 常識では考えられないアイデア自体はテルモで開発を担当していた大谷内哲也さんが思いついた。しかし、どんなに技術力で有名なプレス加工会社に行って行っても「そんなことはできるはずがない」と断られてしまた。

 ほとんどあきらめかけていた大谷内さんが最後の頼みにと門を叩いたのが岡野さんのところだった。初めは断った岡野さんだったが、体の中で発明家の虫が騒ぎ出す。三顧の礼を尽くして頼みに来た大谷内さんに、「よしやろう」と請け負い、そして完成させてしまう。

 発明家には、いわゆる職人とは全く別の才能が必要とされる。柔軟な発想力で、次々とアイデアが浮かんでこなければ、世間をあっと驚かすような発明はできない。そのアイデアの泉があるからこそ、岡野さんは誰にもできない加工をやり遂げてしまうのだ。

 では、そのアイデアの泉はどこにあるのか。発明家によって様々だと思うが、岡野さんの場合には人を惹きつける「人間力」がその元となっている。

 必要は発明の母と呼ばれるように、ニーズのないところに発明は生まれない。そのニーズを呼び込む力が抜群なのである。

 プレス加工は多くの場合、完成品メーカーから決まった加工を発注されるだけでニーズを自ら開拓する必要性がほとんどない。つまり通常のプレス加工の町工場を営んでいるだけでは発明家になれる可能性が薄い。