1996年、当時のウォルター・モンデール米駐日大使は、「(中国との)尖閣諸島の帰属に関する実力行使を伴う国際紛争の場合、日米安保は発動しない」と発言して物議をかもし、我が国では日米同盟の信頼性に対する疑念が広がった。

尖閣諸島有事に米国の軍事介入はあり得るか

 バラク・オバマ政権になって、ヒラリー・クリントン国務長官は、2010年9月の前原誠司外務大臣との会談において「尖閣諸島は、日米安保条約第5条の適用対象である」と述べ、モンデール氏の発言を否定する格好になった。

 さらに、同長官は、2013年1月、岸田外務大臣との会談において、前言に立脚しつつ「日本の施政権を損なおうとするいかなる一方的な行為にも反対する」と明言した。

 米国の真意は、どの辺にあるのだろうか。モンデール駐日大使側か、あるいはクリントン国務長官側か、あるいはその双方にあるのか――。

 外務省は、ホームページで「尖閣諸島に関する米国の立場」について次のように説明している。

 「尖閣諸島は、第二次世界大戦後、サンフランシスコ平和条約第3条に基づき、南西諸島の一部としてアメリカ合衆国の施政下に置かれ、1972年発効の沖縄返還協定(「琉球諸島及び大東諸島に関する日本国とアメリカ合衆国との間の協定」)によって日本に施政権が返還されました。サンフランシスコ講和会議におけるダレス米国代表の発言及び1957年の岸信介総理大臣とアイゼンハワー大統領との共同コミュニケに明示されているとおり、我が国が南西諸島に対する残存する(又は潜在的な)主権を有することを認めていました」

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 「また、米国は、日米安全保障条約第5条の適用に関し、尖閣諸島は1972年の沖縄返還の一環として返還されて以降、日本国政府の施政の下にあり、日米安全保障条約は尖閣諸島にも適用されるとの見解を明確にしています」

 しかし、以上の説明からは、さらに次の2つの疑問が生じるであろう。

 第1に、米国は「我が国が南西諸島に対する残存する(または潜在的な)主権を有することを認めて」いるが、その「残存する(または潜在的な)主権」とは、一体何を意味するのか。

 第2に、米国は「尖閣諸島は・・・日本国政府の施政の下にあり、日米安全保障条約は尖閣諸島にも適用される」との見解を示しているが、それは尖閣諸島有事に際し、米国が直ちに、あるいは自動的に軍事介入することを意味するのか、という問題である。

 外務省で条約局長、欧亜局長、駐オランダ大使を歴任した東郷和彦氏は、著書「歴史認識を問い直す」(角川oneテーマ21、2013年)第1部「領土問題」第1章「尖閣問題」の中で、次のように述べている。

 米国の対尖閣問題の原則は、尖閣諸島を安保条約第5条の適用範囲と認め、これに対する攻撃があれば日本側に立つという姿勢を明らかにすると同時に、主権に対しては日中いずれか一方の立場を支持しないという中立の立場(「主権中立」)を堅持するという2本の柱である。

 しかし、「あの小さな島のために本当に米軍が動くのか、という問題」があり、第5条に基づいて米軍が実際に行動するためには、日本が自から国を守る覚悟で行動することが重要で、アメリカ兵だけに血を流させることは許されないこと、そして、日本が先に動いて中国を挑発しないこと、逆論すると、中国が先に動けば米国はその挑発に対し強い態度をとることができるとの2つの条件を挙げている。

 また、「主権中立」については、「ニクソン政権は、1971年6月の沖縄返還協定調印の際、『施政権の返還』という考え方をはっきりさせるとともに、71年10月の同協定批准の際に議会に対し、『返還は、施政権の返還であって、潜在主権は含まれない』という立場をとった。『主権中立』の考えはこのときから明確にされたのである」と、高原秀介氏の論文「日中関係におけるアメリカの影響」(「京都産業大学世界問題研究所紀要」第28巻)を引用して説明している。

 つまり、米国は、中国の尖閣諸島に対する武力攻撃に対して、直ちに、あるいは自動的に軍事介入することはあり得ないことを示唆している。

 また、尖閣諸島は、歴史的にも国際法上も、我が国の固有の領土であり、主権は一貫して日本にあるとの我が国の立場を容認しておらず、この問題を日中が対決する紛争として残すというのがその基本姿勢であることを指摘しているのである。

 実は、米国は、第1次台湾海峡危機(1954年9月~55年1月)において、台湾の国民政府が実効支配していた金門・馬祖島や大陳島などの大陸沿岸諸島防衛に関する米国の関与について「積極派」と「消極派」に大きく分かれた。