8月6日のヒロシマへの原爆投下の日がやって来るので、福島第一原発事故の避難民を再訪する旅の報告を1回だけ休むことにする。6月に出版した拙著『ヒロシマからフクシマへ 原発をめぐる不思議な旅』(ビジネス社)に紙数の制限で書ききれなかった話を書いておきたいのだ。
同書の取材でアメリカ全土を回ったとき、南部テネシー州にあるオークリッジという街を訪ねた。第2次世界大戦中、原子爆弾の材料である濃縮ウランをつくるための秘密軍事工場として生まれた。そこに全米から数千人の労働者が移り住んだ。「Y12」「K25」というウラン濃縮プラントの暗号名がそのまま街の名前として残っている。テネシー州はバーボンとカントリーミュージックで有名だ。オークリッジも、紅葉と渓谷のアパラチア山脈に抱かれた美しい街だ。
2カ月にわたるアメリカの核技術施設の取材の旅で気がついたのは、アメリカの人々が判で押したように同じ「公式見解」を言うことだった。「原爆投下は第2次世界大戦の終結を早め、日米双方の兵士の犠牲を減らした」「核兵器は冷戦での全面戦争を防いだ」。
そういう悪魔的な計算が許されるのか、ということは別として、事実としてはその通りだということは、分かっている。「日本が戦争をしかけてきたおかげで、太平洋戦争だけでなく、それまでかかわっていなかった欧州の戦争にまで参戦することになった。お前らが先に手を出してきたんだ」。アメリカ側から見れば、そう見えるのも承知している。
人が加害者としての歴史に目を背けたがるのは万国共通である。平均的な日本人も、戦争加害者としての自国の歴史を知っているとはとても言えない。
それは分かっていても、おさまりが悪い。取材を快く手伝ってくれた、親切で善良なアメリカ人の口から、そういう言葉が出る。そのたびにぎょっとした。
それだけではない。言論の自由や多様性を何より重んじるこの国で、ニューメキシコ、シカゴ、オハイオ、オークリッジと、どこへ行っても、核技術施設の職員や軍人はもちろん、周辺住民まで一字一句同じことを言う。まったく奇妙な現象だった。
スローガンを信じて裏切られたフクシマの人々
最初はいちいちびっくりしてたが、そのうちに気付いた。それは政府が用意した「公式見解」と一字一句同じ言葉だった。「スローガン」や「プロパガンダ」そのままなのだ。これもまた「権力への懐疑」が誇りのアメリカ人にしては奇妙な現象だった。まるで日本文化で言う「建前」のようだった。記者の取材のような公式の場ではそう言う。だが、内面では感情的な葛藤なり迷いがある。
私は福島第一原発の地元・双葉町で見た光景を思い出した。放射能汚染で無人になった町の目抜き通りに「原子力 正しい理解で明るい未来」というスローガンを掲げたアーチが立っていた。無人になって1年半が過ぎた街では、そのアーチも雑草に巻き付かれて埋もれつつあった。