あまり知られていない話だと思うが、“国立大学”では何度もチベット語科設立の申請が文部科学省に却下されているそうである。理由は簡単で、チベット語が「国家の言語ではないから」である。学生だった時分にチベット語の先生が話してくれたことだが、その後も学科がないことから考えると今も却下されているのだろう。

 日本語では、「何カ国語、話せますか?」と何の気もなしに質問するが、「国語」ということで数えれば、英語は50カ国以上の国の公用語や国家語であり、字義通りに理解すれば、英語だけで50カ国語以上を話せることになる。

1つの国に1つの言語は日本だけの常識

『ロシアとチベット』中央の写真はアグワン・ドルジエフ

 逆に少数民族の言語はどこの国家語でも、公用語でもないことが多い、つまり少数民族の言語をどんなにたくさん知っていても0カ国語知っている、ということがあり得る。

 質問している側にとって、もちろんそれが知りたいことではないことぐらい分かっている。しかし、日本では日本語だけが存在しているように見えるからか、1つの国家には1つの言語が存在するような幻想が、無意識に働いているように見える。

 これは母語と言わず、国という言葉がはさまった「母国語」という言葉を使ってしまうときにも働いてしまう心理のようだ。

 しつこいが、このような原則からすれば、チベット語は日本政府にとって、「0カ国語」と見なされていることになる。国語という表現は、透明に見えても、話が例えば学部設置基準となると、言葉通りに解釈され、目に見える障害にもなり得るのである。

 それはさておき、今から100年前、そのチベットを国家として扱った国があったというのが今回のお話である。

 それは1912年の冬のことであった。チベットから、モンゴルの首都イフ・フレー(現:ウランバートル)にあるラマ僧がやって来る。アグワン・ドルジエフである。彼は、ダライ・ラマ13世の教育係を務めた人物で、ダライ・ラマに信用され、ロシアとチベットを結びつけるのに尽力した人物であった。

 それよりも特筆すべきなのは、彼がロシアの出身であるということであった。

 ロシアにも仏教地域がある。人口からすると全人口1億4000万人の中の100万人足らずで、比率にすれば1%に満たない数である。しかし、ロシア連邦において仏教は伝統宗教の1つと認められている。