クジラを模したという木の屋石巻水産の美里町工場(筆者撮影、以下同)

 宮城県石巻市を拠点にしている水産加工会社「木の屋石巻水産」がこのほど、同県遠田郡美里町に新工場を完成させた。

 同社は、広告塔にしていた魚油タンクが津波で流されて被災を象徴するモニュメントになったり、工場内のヘドロに埋まっていた缶詰をボランティアが掘り出して「復興缶詰」として販売して支援したりしたことで、話題になった企業だ。

 水産加工会社の内陸移転は珍しいだけに、工場を訪ね、その狙いは何か、同社の木村長努社長(60)から話を聞いた。

元の場所と内陸で事業を再開

 東日本大震災が起きたときに、木村社長は石巻魚町にある本社工場の事務所で商談中だった。津波警報が出たため、車で市内にある自宅に避難して助かった。とはいえ、市内はどこも避難する車で激しい渋滞になっていたうえ、自宅も1階部分は津波で冠水したことを考えれば、九死に一生を得た1人だと言える。

震災で倒れ、震災のモニュメントになった木の屋石巻水産のタンク

 石巻魚市場の後ろに広がる水産加工団地の一角にある工場は、漁港に近かったこともあり、津波の直撃で、鉄骨を残して壁面や設備などは全壊した。

 「廃業という選択も考えた」と木村さんは言うが、震災後、従業員を一度も解雇しなかったのは、再建への決意があったからだろう。木村さんが悩んだのは、どこで再建するかという問題だ。元の場所であれば、漁港に近いという利点はあるが、津波のリスクに常にさらされる。内陸に行けば、津波のリスクはないが、新鮮な魚をすぐに加工できるメリットが減る。

 最終的に木村さんが決めたのは、漁港に近い元の場所に再建する工場は、内蔵処理などの1次加工や魚の冷凍保管にあて、缶詰などの2次加工は内陸の工場で進めるという役割分担による工場の分散化だった。

木の屋石巻水産の木村長努社長=美里町工場で撮影

 「建物を高くすれば、元の場所で津波が来ても大丈夫だと思うが、今回の震災のように、設備をすべてなくしたり、車などを失ったりするのは困る。そこで、内陸にも工場を建てる決断をした。今春、10人の新入社員を採用したが、内陸に工場があるというのは、リクルートでも有利に働いた」と、木村さんは語る。被災した企業で、元の場所と内陸とで復興させた企業はなく、木村さんは大きな決断をしたことになる。まさに「大冒険」だ(石巻本社工場と新工場の場所は木の屋のホームページの地図をご覧いただきたい)。