昭和天皇の戦争責任を主題とするハリウッド映画「エンペラー(天皇)」が3月上旬、米国各地で封切られた。米国マスコミはその主題の重さからこの映画の上映を一斉に報じ、その内容についても様々な角度から論評した。封切りから10日ほどが過ぎたが、各地の映画館の興行成績でこの映画がトップを走っているという報道はない。成績は、まあそこそこという程度のようだ。
しかし日本人としては当然ながら気にかかる映画である。封切り日の3月8日金曜日の午後、首都ワシントンの映画館に鑑賞に出かけてみた。まだ夕方にもなっていなかったせいか、観客は少なかった。しかも中高年齢層がほとんどだった。やはりこの種の歴史ドラマは若い層にはそうアピールはしないのだろう。
だが映画の中身は、昭和天皇をはじめとして戦争の敗者の日本側人物たちにも人間的な光を当てていて、日本人の視点で見ても驚くほど公正だと思った。米国の一部の映画評ではこの映画は日本側に対して甘すぎるという批判が出るほどで、それもまた理解できた。
1つの映画で国家や社会の全体の状況をあれこれ断じることはもちろん危険ではあるが、この映画を見て、少なくとも私は日本と米国が恩讐を乗り越えて本当に友好的な同盟国同士になったようだと、改めて実感したのだった。
人間らしく描かれていた日本人
この米国映画「エンペラー」の主人公は、日本占領の連合国総司令部(GHQ)最高司令官マッカーサー元帥とその副官のボナー・フェラーズ准将である。タイトルの天皇ももちろん重要な役として登場するが、その他の日本側の終戦時の要人たちも顔をそろえる。近衛文麿、東条英機、木戸幸一らがそれぞれに生き生きと描かれる。
中心に立つのはトミー・リー・ジョーンズが演じるマッカーサー元帥で、映画の中で知日派とされるフェラーズ准将役のマシュー・フォックスも熱演する。舞台は敗戦直後の東京である。マッカーサー元帥がフェラーズ准将に「天皇が開戦にどれほど責任があったかを10日間で調査し、裁判にかけるか否かを決めよ」と命令する。