和泉流狂言師の小笠原匡氏をゲストに迎えた今回の『中山泰秀のやすトラダムス』(Kiss FM KOBEで毎週日曜24:00-25:00放送)。狂言の歴史や魅力、楽しみ方を解説したほか、全国で持ち上がっている体罰問題などについて語った。

狂言は、その場にいるだけで何かを感じられる「ライブ」

中山 今回は和泉流狂言師の小笠原匡さんにお話を伺います。狂言というと堅いイメージを持たれてしまいがちですが、知識がなくても楽しめるものなのでしょうか。

小笠原 能や狂言に「敷居が高い」とか「難しい」というイメージを持つ人がいますが、言葉の意味を拾おうとするからそう感じるのではないでしょうか。

 おそらく一番のストレスは日本人でありながら日本語が理解できないことだと思いますが、大切なのは言葉の意味を理解するのではなく、自分の感性であるがままに何かを感じ、想像することです。

 今の世の中は教育も然りですが、何でも詰め込み式で覚えさせられることが多く、自分で考えたり感じる機会が減っている気がします。だから余計な不安や先入観を抱いてしまう。

 狂言というのは「ライブ」ですから、そこにいるだけで何かを感じるはずなんです。例えば衣装を見てデザインが面白いとか、色使いが好きだとか、どこを見て何を感じてもいいのがライブの魅力です。

 外国の曲を聴いた時、細かいニュアンスや意味が分からなくても感覚的に楽しもうとしますよね。能や狂言も同じで、あまり構えずに足を運んでいただきたいと思います。

中山 なるほど。では次に、能や狂言のルーツについて教えてください。

姫路薪能で上演された狂言(ウィキペディアより)

小笠原 日本の伝統や文化はいきなり湧いて出たわけではなく、先行していた儀式や芸能の影響を受けながら形を変えて継承されてきました。

 狂言も江戸時代までは猿楽と呼ばれていましたが、元を辿れば大陸から日本に伝わった散楽という芸能が起源です。

 散楽とは中国の庶民が楽しむ大道芸のようなもので、538年に仏教伝来とともに日本へ入ってきました。

 仏教と一緒に日本へ伝わった芸能の1つに雅楽・舞楽があります。雅楽や舞楽は高貴な人が嗜むものであり、日本では皇族やお公家さんが楽しむ芸能として今の宮内庁で伝承されています。