20世紀に起きた2つの世界的規模の戦争、第1次と第2次の世界大戦はヨーロッパが数百年にわたり持ち越してきた民族問題が火種となったものだ。

 19世紀後半から急速に発達した重工業は各国の国力と軍事力を飛躍的に向上させた。その結果、国益がかかった国家間の衝突を解決する手段としての戦争は、凄惨で血なまぐさい犠牲を出すものとなった。

 そこで、戦争の勝敗にかかわらず諸国民に大きな損失をもたらす戦争は何としても回避すべきだという志向が、第1次世界大戦(1914~18)を経て生まれた。そして、戦争の背景となった民族問題(支配民族と被支配民族を包含する国家の再編)の解決に取り組むことが、同大戦の戦後処理における大きな課題の1つとなった。

 しかし、残念ながら中央部・東部ヨーロッパの民族問題解決は不十分な内容に留まり、やがて第2次世界大戦(1939~45)勃発につながる数々の紛争を引き起こすことになった。最初の世界大戦の戦後処理は、目的とした「恒久的な平和」を実現せず、20年足らずで2度目の世界大戦を招いてしまったのである。

 第1次世界大戦の火種になったのは、バルカン半島を中心とした諸民族に対するオーストリア=ハンガリー帝国(ハプスブルク帝国ともいう)やオスマントルコ帝国の介入と支配である。直接的にはボスニア・ヘルツェゴビナの都市サラエボでオーストリア皇太子夫妻がセルビア人テロリストに暗殺されたこと(サラエボ事件、1914年6月28日)に端を発している。ハプスブルク帝国によって併合された地における被支配民族の反発が事件を引き起こしたのだ。

課題となった民族自決権に基づく国家創設と国境画定

 第1次世界大戦は、ヨーロッパを中心に中東やアフリカ、アジアにまで飛び火してかなりの数の国が参戦した。

 しかし、中心になったのは、イギリス、フランスの英仏協商を軸に同盟したロシア、イタリアのブロック(連合国)と、新興統一国家ドイツ帝国、オーストリア=ハンガリー帝国、それにオスマントルコ帝国を中心にした同盟側との戦いであった。

 これらのうち、多数の民族を包含したオーストリア=ハンガリー帝国やオスマントルコ帝国が敗戦によって解体されることになり、革命のため途中で戦争から脱落したロシアもその版図からいくつかの民族国家が分離される事態となった。