今週は柄にもなく岩波書店発行の月刊誌「世界」を購入した。学生時代以来だろうか、この歳で「世界」を買って読むとは考えもしなかった。この伝統ある「進歩的」月刊誌と筆者のような地政学的現実主義者に接点など未来永劫ないと思っていたからだ。
それはともかく、今回「世界」を選んだ理由は簡単だ。中国「新左派」の旗手と言われる清華大学の汪暉教授が同誌7月号に「重慶事件」について書いたと聞き及んだからだ。というわけで、今回は中国の新左派が見た薄熙来失脚劇について考えてみたい(文中敬称略)。
新左派の主張
件の評論は「重慶事件:密室政治と新自由主義の再登場」と題された15ページの論文。
素人には難解な言い回しや「脱政治化」など同教授独特の概念が随所にちりばめられている。マルクス主義(経済学)の素養はあまりない筆者だが、汪暉の主張は概ね次の通りと理解した。
●重慶の実験は、地方の党・政府機関の組織化・動員、大衆の積極的関与、知識界での公開討論を経た、経済・政治・社会に関わる部分的な改革であった。
●同プロセスは今も試行錯誤の段階にあるが、この(富の)再配分と公平正義を強調する改革は一種の公開政治であり、民衆の参与に開かれた民主のテストであった。
●しかし、新自由主義を進める党中央は、薄熙来一族の腐敗、王立軍事件、「文革」の悲劇などと結びつけ、重慶実験は改革路線に背くとして、その政治的意義を否定した。
●現在中国では脱政治化した政治が流行している。商売のロジックが政治のロジックを打ち消し、開発主義の言葉が政治参加を打ち消そうとしている。
●さらに、政治的価値に関わる議論が資本の利益にすり替わり、密室政治が公開政治を打ち消し、権力闘争が政治競争にすり替わろうとしている。
●今の中国に必要な政治改革は、密室政治による民主自由の名の下の新自由主義改革ではなく、公開政治、大衆参与、公開議論を動力とした社会主義的改革である。