最近、イランのホルムズ海峡封鎖に関する記事が掲載されるようになってきた。イランの核開発に対し、米国をはじめとするヨーロッパ諸国はイランに対する経済制裁をより実効性のあるものにするためさらに圧力を強め、これに対し、イランがホルムズ海峡封鎖をちらつかせオイル価格が上昇しているからである。

トイレットペーパーが店頭から消えた

「中距離対空ミサイルの試射に成功」、イラン海軍

イラン海軍がホルムズ海峡で行った軍事演習で、ミサイルを発射する舟艇(2011年12月30日撮影)〔AFPBB News

 以前、我が国で生起したオイルショックを覚えておられるのは、ある程度のご年齢の方であろう。1973年の第1次オイルショックと1979年の第2次オイルショックである。

 第1次オイルショックは、4次中東戦争勃発によりペルシャ湾岸の産油国が原油公示価格を引き上げ、この原油価格上昇により日本は「狂乱物価」という造語まで生まれ、戦後初のマイナス成長となった。

 そして、トイレットペーパーが店頭から消えた年でもあった。

 第2次オイルショックはイラン革命により、イランでの石油生産が一時的に中断したものの、イランの原油生産が程なく再開され大きな影響はなかった。しかし、その当時、我が国商船隊が、危険を顧みず原油の輸送に従事したことを知る人は少ない。

 我が日本は、地政学的に見れば、南北に長く縦深性のない国で、国民の大多数が都市に集中し、自給自足が困難な四面海に囲まれた島国である。

 従って、好むと好まざるにかかわらず、我が国は自由貿易を主体とする海洋依存国家にほかならない。我が国は海運による自由貿易により繁栄を享受しており、我が国の生存がシーレーンに依存していると言っても過言ではない。

 また、原材料を輸入し高付加価値にして輸出する経済活動のスタイルもここ当分、大きく変わり得る要素はない。

 輸出入貿易の99.7%が船舶輸送である我が国にとって、シーレーンは我が国の生存を支える生命線であり、中国の海洋に対するアクセスが激しくなる中、海洋の自由利用の重要性を考えつつシーレーン防衛について光を当ててみたい。

海洋の自由利用の確立

 今日、歴史的に言われてきた海洋の自由利用という概念は、科学的な進展や国際法上の領海幅の拡大、排他的経済水域(EEZ)の設定あるいは漁業、海洋汚染防止などの諸条約により、変化が生じてきている。それでは、海洋の自由利用という発想はいつ頃から形成されてきたのであろうか。

 古代、海洋に関する最初の法典と言われているローマ法には、海は自然法上万人共有のものとして所有の対象とはされていなかった。しかし、船舶・航海技術の向上とともに逆に、規制の考え方、すなわち、海を支配する考え方に移行していった注1

 大航海時代の15世紀になりスペインとポルトガルが興隆してくると、大西洋を分割し、両国の支配下にあるものはスペインまたはポルトガルに属し、許可なく管轄内の島や本土に行くことを禁止した2

 これに、異を唱えたのが英国のエリザベス1世であるが、これも自国の商業活動や漁業の自由を確保するものであり、人類の一般的利益への考慮に基づくものではなかった。

注1 1177年「ヴェニス条約」アドレア会の支配により貢物の要求又は航行の禁止。1201年イギリス エドワード3世海の国王に対する海上礼式の要求没収デンマーク、スェーデンのバルト海支配
注2 1493年ローマ法王アレキサンダー6世の教書、1494年「トルデシラス条約」スペインとポルトガルの条約で排他的航行権