「政治家になるための塾」が大流行している。橋下徹・大阪市長による「維新政治塾」をはじめ、河村たかし・名古屋市長の「河村たかし政治塾」、大村秀章・愛知県知事の「東海大志塾」などが続々と設立されている。

 これらの塾には“元祖”と呼べる存在がある。松下電器(現パナソニック)創業者の松下幸之助が1979年に設立した「松下政経塾」である。

民主党の国会議員28人が政経塾出身

 政経塾は今や政界きってのブランドだ。同塾出身の国会議員は、現職首相の野田佳彦(松下政経塾1期)を筆頭に38人にも上る。加えて県知事1人を含め10人の地方自治体首長、29人の地方議員も誕生している。

 とりわけ政権与党の民主党とは縁が深く、政経塾出身の国会議員も28人が同党に所属する。しかも彼らは揃って若い。54歳の野田の世代が最も上で、30~40代の現職議員も数多い。前原誠司(8期)元外相、玄葉光一郎(8期)外相、樽床伸二(3期)民主党幹事長代行、原口一博(4期)元総務相など、“将来の首相候補”と見られる人材も目白押しだ。

 筆者が政経塾について取材を始めたのは、今から13年前の99年のことだった。当時、塾出身の国会議員は15人で、世の関心も現在ほど高くなかった。

 取材のきっかけは、政経塾という不思議な存在に興味を抱いたからだ。「政治家養成機関」など、世界を見渡しても類を見ないのである。また、政治家を親に持つわけでもない、ごく平凡な家庭に生まれ育った若者たちが政経塾を経て続々と国会議員になっていることも、興味を持った大きな理由だ。

 そして今年2月には、取材の蓄積を『襤褸(らんる)の旗 松下政経塾の研究』(飛鳥新社)という書籍にまとめた。塾出身者たちが歩んだ人生を追いながら、政経塾の功罪について問うたルポルタージュである。

 一見、大成功を収めた政経塾だが、同塾出身の政治家に対する風当たりは強い。最近では「政経塾が日本を悪くしている」といった声まで聞かれるほどだ。なぜ、政経塾は嫌われるのか。その歴史を振り返りつつ考えてみたい。