もし、大震災が起こらなかったら・・・。もし、福島原発が事故を起こさなかったら・・・。多くの命や生活、そして町は失われずにすんだ。当たり前のことながら、そうであったらどんなによかったことだろう。
しかし、原発事故について限ってみればもう1つの複雑な思いが頭をよぎる。果たして原発の抱える問題点があぶり出されただろうか、原発を見直すことになっただろうか。原発に群がる利害を共有する“グル”の構造に「問題あり!」と、切り込むことができただろうか。
振り返れば、福井県敦賀市の高速増殖炉もんじゅの事故(1991年)、茨城県東海村のJCOの事故(1999年)など、原発をめぐる安全性への疑問や事故隠しに見られる非民主性を示す事例はいくつもあった。
泥棒と警察が一緒になった組織
端的な例が、本来原発の安全性を確保する機関である原子力安全・保安院は、経産省内のいわば推進側の組織であり、健全な監視・批判ができていなかったことだ。言い方は悪いが泥棒と警察が一緒の組織にあって利害をともにしていたようなものである。
マスコミはこれをことあるごとに問題視して取り上げた。しかし、本質的には原発をめぐる構造的な非民主性をえぐり出し、建設推進の独善を見直させることはできなかった。その理由は、原発推進を固めている大きな権力の壁があるからだ。
それは、金の力、政治の力を背景にして政、財、官、学ばかりかメディアのなかにも利害を共有する部分をつくりあげているから簡単には壊れない。
こうした原発を支える権力がいかに形成されてきたか、そして、原発そのものが権力を吸い寄せる性質のものであることを、歴史を追って教えてくれるのが『原発と権力-戦後から辿る支配者の系譜』(山岡淳一郎著、ちくま新書)である。
著者は、震災後に福島への取材をするなかで、「なぜ、制御不能の原子力発電を日本は『国策』として進めてきたのか」と問い続け、その答えとして「権力は原子力を好む」という1点にたどり着く。
遡れば、原子力の利用と核兵器開発は切っても切れない関係にあることが分かる。
今回の震災のあとの原発再開をめぐる議論のなかでも、再開論者やベトナムなど海外への原子力技術供与や原発輸出を推進する論のなかには、原発技術を維持していくことが、核開発への研究の継続という意味から安全保障上重要だという意見がある。