前回に引き続き、3.11報道を例に報道の病弊について分類してみる。

 今回は(2)セレモニー記事(3)パチカメ記事(4)カレンダー記事(5)えくぼ記事、について。特に「セレモニー記事」はほかの問題点に深くリンクしているので詳しく解説する。

 「セレモニー記事」とは、ニュースの取材対象を企業や官庁やそのほかの組織や団体が設定した「式典」「儀式」「式」つまり「セレモニー」を主題に据えた記事のことだ。宗教的な行事や祭りもこの「セレモニー記事」の一種と言える。

「報道用セレモニー」としてセットされた慰霊式

2011年5月26日付の3紙の写真。上が読売、中央が朝日、下が毎日。

 まず実例を見てほしい。2011年5月26日付朝日、読売、毎日新聞の紙面である。「福島第一原発から20キロライン内側の福島県浪江町(警戒区域=全員避難、立ち入り禁止)の住民の一時帰宅」の記事だ。

 お分かりのように、朝日も読売も毎日も、まったく同じ場面に同じ方向から撮影して掲載している。左の法服の僧侶も合掌する人たちもまったく同じ。シャッターを押したタイミングも同じなのだろう。撮影場所はおろか撮影時間(「冒頭5分でお願いします」などという撮影時間帯の設定はコンサート撮影などではイベンターがよくやることで珍しくない)さえあらかじめセットされていた可能性が高い。

 誰が主催者なのか分からないが、これらの写真から以下のことが推察できる。

(イ)「浪江町の住民が強い放射線で立ち入り禁止になっている家に帰り、犠牲者の冥福を祈る」セレモニーを誰かがセットした(一時帰宅するだけなら、避難の時に持ち出せなかった私物を取りに行ったりすることが第一目的であって、犠牲者を慰霊する必要はない)。
(ロ)新聞やテレビなどに広報した。
(ハ)記者たちを招き、当日は現場に誘導した。
(二)映像記者たちは指定された場所に立ち、動画や写真を撮影した。
(ハ)広い浪江町の中から、がれきの荒野が背後に広がる「フォトジェニックな場所」を選んで祭壇を設定した「誰か」がいる。