ブッシュ前政権より受け継がれた最大の負の遺産、キューバ南東部にあるグアンタナモ米軍基地内の対テロ収容所(以下、グアンタナモ)。

 ここで取り返しのつかない間違いが起こった。そして、その代償をオバマ政権が払わなければならない羽目となり、ホワイトハウスは今、改めてグアンタナモの闇の深さを思い知らされている。

 2002年、アフガニスタンで米軍の車両に手榴弾を投げ込み、米兵2人と現地通訳1人に重傷を負わせたかどで、モハメッド・ジャワドが逮捕され、その後グアンタナモに移送された。当時の記録に逮捕時の年齢は17歳とある。

 ところが、アフガニスタンの人権団体の調査で、彼の年齢は12歳くらいだったことが明らかになったのだ。

 ジャワドはすでに拘束されてから6年半もの年月をグアンタナモに閉じ込められたまま過ごしている。それだけではない。彼は繰り返し拷問を受け、地獄のような収容生活を送ってきた。精神的にも危うい状態にある。

 この少年が受けたむごい扱いの詳細が明らかになれば、世界の米国に対する怒りは再燃し、憎しみの矛先は前ブッシュ政権のみならず、今の米国そのものに向かいかねない。ジャワドを釈放すれば、事実が公になってしまう。しかし、釈放しなくても批判は高まっていく。

 前政権の米国と決別し、変化を唱えるためにグアンタナモ閉鎖を就任直後に約束したオバマ大統領は、八方ふさがりの状態にある。

ジャワドの年齢と逮捕の経緯

 ジャワドには、出生証明書などの公な記録がないので、正確な年齢は不明だ。米軍は、逮捕時に骨のスキャンで測定したところ、最低でも17歳だという結果が出たと言っている。

 しかし彼が17歳よりずっと若いのではないか、まだ子供なのではないか、という噂は当初からあった。そのため人権団体(Afghan Independent Human Rights Commission)が、ジャワドの母親や親族に面会し、独自調査を行った。

 まず母親に、ジャワドが生まれた前後に、有名な事件や政権交代はなかったか、などの質問をした。母親は、ジャワドが、彼の父親が91年のコーストの戦いで戦死した半年後に生まれたと言った。人権団体の職員は、親族と、当時軍隊でジャワドの父親の上官だった人物と接触し、事実を確認。ジャワドは91年末前後に生まれたと認定した。

 ジャワドは逮捕されるまで、パキスタンにあるアフガニスタン難民のキャンプで母親と暮らしていた。学校にも通い、小学6年生か中学1年生レベルのクラスに所属していた。母親が再婚し、新しい父親と馴染めなかったジャワド少年は、ある日「小遣いをたくさんあげるから、地雷除去の仕事をしないか」と誘われ、ついて行ってしまう。