自衛隊は「国民の公共財」でありながら、なかなか国民の理解が得られなかった。多くの国民は独立国家に軍隊が必要なことを認識しているが、憲法や歪んだ戦後教育の影響で、反対陣営の活発な活動とこれらを好んで報道するマスコミの世論操作に踊らされてきた観がある。

 3.11で活躍する自衛隊を目の前にしながら、来年度から中学校で使用される歴史・公民教科書の中には、いまだに「違憲」の烙印を押す教科書も多い。

 広域大震災と未曾有の原子力発電事故は「日本」の存亡に関わる国難である。この時に当たって、天皇陛下は3月16日にビデオメッセージを発出され、被災地・被災民を激励されている。他方で、自衛隊はわが身を賭して捜索・救助、復旧・復興などで頑張っている。

 正しく国家の存亡に関わる自衛隊でありながら、いまだに認証官にも列されず、天皇の拝謁に預かる機会もほとんどない。

自衛隊の過去と現在

 筆者は創設間もない頃に自衛隊に入隊した。国民が寝静まり、狸や狐しか動き回らない深夜に銃を担いで道なき道をとぼとぼと歩いて演習場に行くことは一再でなかった。

 大仰な物言いをすれば日本の独立を支えることであったのであるが、当時は誰かがやらなければというくらいの考えでしかなかったように思う。

 オリンピックや災害派遣などでは、どの組織・団体よりも多くの隊員を差し出して支援してきた。しかし、ほんの一部のマスコミが「自衛隊」を言葉にするだけで、NHKをはじめとする多くの報道機関は「警察、消防等」の「等」に包み込み、無視か申し訳程度の記事を載せるだけであった。

 「産経新聞」(4月14日付)で、野口裕之氏は「東日本大震災における、自衛官の目覚しい活躍に、多くの国民が『瞠目』している。だが、小欄は『瞠目』などしない。自衛官の日常、使命感、覚悟、錬度・・・に日ごろから接してきたから、驚いては礼を欠く。(中略)黙々と任務を果たす自衛官から放たれる『まぶしさ』は、こちらの眼を潤ませる。(中略)意図的か否かは別として(まぶしさを)『無視』してきた罪は免れぬ」と書いている。無言実行の自衛隊を真に理解して言える言葉である。

 筆者が防大生の頃、大江健三郎氏は女子大生に向かって「自衛隊員のところへお嫁に行くな」と言い、沖縄では隊員の子女が義務教育を受ける学校への入学を邪魔されたりした。大学院への門も閉ざされていった。そうした行動を左翼系の全国紙やマスコミが堂々と支持し、大々的に報道していた。

 平成に入り、自衛隊がPKO(平和維持活動)や海外で発生した大規模災害の支援に派遣されるようになると、「存在する」状態から「機能する」立場に変わってきた。