バブル崩壊とその後の「Too Little, Too Late」の政策不況により、10年間で名目国内総生産(GDP)1年分相当の国富を吹き飛ばした国。1年間の僅かなプラスを除けば連続5年間、マイナス成長を名目ベースでずっと続けた国。ある年に企業倒産の負債総額が国家予算のほぼ4分の1に達し、3年間にわたり完全失業率が5%を上回り続けた国。しかし、こうした悲惨な経済状況にありながら、クーデターも革命も起こらなかった国・・・。(敬称略)

 上記のいずれもが、1990年代後半~2000年代前半の日本の経済・社会状況の描写だ。

 一体、この国の経済・金融政策はどうなっているのか。そして、なぜ国民は怒らないのか。気鋭の経済学者やエコノミストなら、学問的野心を必ずやその解明に向けるだろう。

野心抱いたクルーグマン、ケインズ経済学から新政策

ポール・クルーグマン氏にノーベル経済学賞

2008年ノーベル経済学賞のクルーグマン氏〔AFPBB News

 野心を抱いた学者の1人が、2008年にノーベル経済学賞を受賞した米プリンストン大学教授のポール・クルーグマン。1994年、クルーグマンは外交専門誌「フォーリン・アフェアーズ」に寄稿した。「奇跡」といわれた東アジアの高度経済成長は、生産性の向上がなく、資本と労働の過剰投入だけで一時的に達成された幻の成長だと喝破。このため、日本のエコノミストの注目を集め始めた。

 1998年、クルーグマンは「日本の罠」と題する論文を発表し、日本の経済不振は日本自身が招いた問題だと断罪。その一方で、日本の苦境はアジア経済に悪影響を与えていると観察していた。

 そして、ケインズ経済学の枠組みを使いながら、クルーグマンは日本がいわゆる「流動性の罠」の状況に陥っていると分析した。

 通常、市場金利を低くするとおカネが借りやすくなり、民間投資が増えるはずだ。ところがあまりに金利が低くなると、投資のためのおカネの需要に対する供給の弾力性は、無限大となってしまう。

 こうした状況では、中央銀行がおカネの供給をいくら増やしても、投資意欲を刺激できなくなる。金融政策の効き目がなくなり、財政支出だけが景気対策の頼りとなる。これが流動性の罠だ。

 しかし、クルーグマンの日本経済に対する処方箋は、「流動性の罠」に関するこれまでの通説とは異なる。

 つまり、(1)構造改革が需要を喚起するかどうかは疑問(2)バブル崩壊後、日本政府が非効率な経済対策を繰り返した結果、財政が急激に悪化し、これ以上の財政出動は許されない(3)だから、ゼロ金利政策では十分ではなく、非伝統的な金融政策を中央銀行は取るべきだ(4)インフレ期待を高め、実質金利をマイナスにすれば「流動性の罠」からの脱出は可能になる。

 この「流動性の罠」という概念は実は、長らく経済学の主流からは忘れ去られたのも同然だった。ところが、クルーグマンは現代経済学への応用というアイデアをとても気に入っていたらしい。

 同じ1998年、クルーグマンは「帰ってきたぞー(It’s Baaack): 日本の不振と流動性の罠の復活」と題する類似の論文を、ワシントンの大手シンクタンク、ブルッキングス研究所の経済論文誌に寄稿している。

 クルーグマンはこの中で、もしインフレ目標やマイナス金利導入というオプションが「非現実的」と主張するのであれば、期待インフレ率を高める減税などの財政政策とゼロ金利といった金融緩和を組み合わせた政策の導入が、日本が「流動性の罠」から抜け出す手段として有益だという補論を書いた。