写真提供:共同通信社/World History Archive/ニューズコム/共同通信イメージズ

 2025年11月、没後20年を迎えた米経営学者ピーター・ドラッカーの思想が改めて注目されている。指示や管理を重ねるほど組織の自律性が損なわれるという指摘は、老子が説く「道法自然」の考え方とも通じる。両者が示す真のリーダー像とはどのようなものなのか。

戦略書としての老子』(原田勉著/東洋経済新報社)から一部を抜粋・再編集。老子とドラッカーの視点を手掛かりに、“部下に任せる”ことで組織の力を引き出すマネジメントの在り方を探る。

部下にしたがうのが最善である

戦略書としての老子』(東洋経済新報社)

 和光同塵とは道を知覚することができず、なおかつ、「無(道)は、そこから展開する万物の邪魔をしない」ことを意味する。

 このことを「道法自然」(老子「有物混成」)ともいう。これは「道は自然に法(のっと)る」と読む。

 ここでいう「自然」とは万物を指し、言い換えると「道は万物にしたがう」ことになる。つまり、万物は道から発生したものの、その後の展開は自律的、自然(自ずから然り)なものであり、道はただその展開を見守るしかない。

 それは指示を出した経営者やリーダーがその後の細かいフォローや追加指示を出すことなく、ただ事後的に報告されることを事後承諾しているだけの状況に近いだろう。この道法自然が意味するのが、次のメッセージだ。

「事態がうまく回っているときは、リーダーは部下にしたがうのが最善である」

 余白の効力を組織で適用するのであれば、それは、権限委譲、セルフマネジメント、目標管理などが該当する。従業員一人ひとりの創造性、自律性を求めるのであれば、余白の効力が必要になる。