趙雲の像 写真/アフロ
約1800年前、約100年にわたる三国の戦いを記録した歴史書「三国志」。そこに登場する曹操、劉備、孫権らリーダー、諸葛孔明ら智謀の軍師や勇将たちの行動は、現代を生きる私たちにもさまざまなヒントをもたらしてくれます。ビジネスはもちろん、人間関係やアフターコロナを生き抜く力を、最高の人間学「三国志」から学んでみませんか?
劉備軍団の中でも、特に難しい任務を引き受けた勇将の趙雲
蜀の劉備に付き従い、数々の困難を共に乗り越えて蜀帝国の重鎮となった武将の趙雲。彼は関羽や張飛など、最古参の猛将たちに遅れること16年後に劉備に臣従した人物です。趙雲が非常に強い信頼を劉備から得ていたことは、第34回の記事にも書きました。
趙雲は優れた武勇を誇りながらも、ある種謙虚な人格を持つ武将としてイメージされており、それゆえにいぶし銀のような武将として後世では愛されてきました。彼は漢中攻略戦などでは、増援部隊として途中から諸葛亮とともに戦場に向けて発進し、見事にその役割を果たすなど、難しい局面でも期待に応えています。
一方で、劉備が219年に漢中王に昇りつめたとき、関羽、張飛、馬超、黄忠が前後左右の将軍に任命され、4人が武将の最高位になったのに対して、趙雲は昇格しなかったことで、劉備軍の中での活躍はそれほどでもなかったのではないかとも言われます。
しかしこれは趙雲が、蜀軍団内部の功名争いから一歩引いていたと考えると合点がいきます。また関羽、張飛、馬超、黄忠たちのメンツを立てたとも考えることもできます。
劉備から深く信頼され、しかも諸葛亮からも尊敬を受けていた古参武将の趙雲。彼は一貫した謙虚さを発揮したことで、荒くれものが多かった劉備軍団で、絶妙なバランスを取っていた人物だったと思われるのです。






