趙雲の像 写真/アフロ

 約1800年前、約100年にわたる三国の戦いを記録した歴史書「三国志」。そこに登場する曹操、劉備、孫権らリーダー、諸葛孔明ら智謀の軍師や勇将たちの行動は、現代を生きる私たちにもさまざまなヒントをもたらしてくれます。ビジネスはもちろん、人間関係やアフターコロナを生き抜く力を、最高の人間学「三国志」から学んでみませんか?

劉備陣営で地味だが、勇猛で人気が高い武将の趙雲

 三国志において、3つの陣営の一角である劉備軍団は、曹操陣営、孫権陣営に比較して、優れた人材を確保するのに苦労していました。理由として、劉備軍団が自らの根拠地をなかなか持てず、軍団自体が各地の軍閥の傭兵のような役割を果たしながら流浪したことがまず挙げられます。

 さらに、劉備軍団のもともとの成り立ちが、任侠集団のような武勇と特殊な感情で結びついていたため、関羽、張飛などの豪傑と劉備は固い絆で結ばれていたものの、外部から知識人や別のタイプの武人が新たに参入して定着しにくい土壌、雰囲気もあったのでしょう。

 劉備軍団の特殊な条件の中でも、武将の趙雲は関羽、張飛についで古参の立場で活躍を続けた珍しい人物です。ただし、関羽、張飛は184年の黄巾の乱から劉備につきしてがっており、趙雲が劉備と知り合った192年はその8年後、正式に劉備傘下に入るのは200年(関羽、張飛が臣従した16年後)ですから、最古参の二人とは相当の開きがあります。

 一方で、現代では武将の趙雲は、豪勇ながらも冷静かつ謙虚な性格の人物と認識されており、三国志の武将たちの中でも特に人気が高い一人です。趙雲は正史では記述の少なさでも知られていますが、彼はなぜ特殊な劉備軍団に後発で加入しながらも、長期に活躍できたのでしょうか。