写真提供:日刊工業新聞/共同通信イメージズ

 国内だけで全就業者数の1割に迫る約550万人を抱える、巨大な自動車業界。そこには、まだわれわれが知らない奥深い歴史や魅力があふれ、ビジネスパーソンとして知っておきたい教養が詰まっている。本稿では『自動車ビジネス』(鈴木ケンイチ著/クロスメディア・パブリッシング)から内容の一部を抜粋・再編集。開発・生産体制、ブランディングなど、自動車ビジネスの多様な側面に着目しながら、業界の過去・現在・未来を見渡す。

 なぜスズキは、北米や中国から撤退し、インドとアフリカを狙うのか。また、バッテリー式電気自動車(BEV)市場において激しく覇権を争う米テスラと中国BYDは、いかにしてブランドを確立したのか。

北米、中国からあえて身を引いたスズキ

自動車ビジネス』(クロスメディア・パブリッシング)

 スズキは年間に300万台以上を売る、世界10位となる自動車メーカーです。

 ところが、日本だけで言えば、その販売台数は67.4万台(2023年度)ばかり。スズキ全体で言えば、日本での販売は、わずか21%ほどしかありません。販売に占める日本市場の割合が少ないのは、他の日系自動車メーカーも変わりません。ただし、その内訳は他メーカーと大きく異なります。

 まず、スズキの世界販売の中に、世界最大級となる中国市場と北米市場がまったく入っていません。スズキは2012年に北米市場から、そして2018年に中国市場から撤退しています。大きな市場から、あえて身を引いているのです。

 その代わりに、179.4万台(世界販売の約57%)をインドで販売しています。他に欧州で23.6万台、アジアで17.8万台、アフリカで9.8万台。欧州とアジア、アフリカの3地域を合わせて51.2万台を販売しています。

 その中で、インド、パキスタン、ハンガリーなどの10か国で4輪車販売のシェア1位を獲得しています。インドは大きな市場となりますが、それ以外は小さなところばかりです。

 これは「どこの国でもいいから一番になりたい」という、スズキの元社長の鈴木修氏の願いが理由となります。鈴木修氏が社長に就任した1978年当時、75年の排気ガス規制対応の失敗、77年の創業者の祖父と前社長の病など、スズキの社員はみな意気消沈していたそうです。