Jリーグ第5代チェアマンに就任し、「天日干し」という経営手法を生かして数々の改革を成し遂げた村井満氏。Jリーグの年間入場者数や年間収益の過去最高記録を更新するなど、Jリーグの発展に大きく貢献した。後編となる本記事では、同氏の著書『天日干し経営: 元リクルートのサッカーど素人がJリーグを経営した』で紹介されているリクルート時代のエピソードや、スポーツ界を大きくリードしたコロナ対応での意思決定のポイントについて、話を聞いた。
■【前編】元Jリーグチェアマン村井満氏、リクルート激震の経験が導いた門外漢の変革
■【後編】元Jリーグチェアマン村井満氏がコロナ下で「71回もの記者会見」を開いた狙い(今回)
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リクルートの人事制度も「天日干し」の発想から生まれた
──天日干しの原体験はリクルートの変革期にあったとのことですが、具体的にどのような体験をされたのでしょうか。
村井満氏(以下敬称略) リクルートでは、「戦後最大の疑獄事件」と言われ、日本中を巻き込んだリクルート事件に翻弄される時代を過ごしました。天日干しの原点は、リクルートのブランドイメージが地に落ちていく中で多額の借入金の返済を進め、同時にネットメディア企業として生まれ変わるまでの挑戦の過程にあったと考えています。
当時のリクルートは、求人情報誌『リクルートブック』を中心とした広告事業を中心に成り立っていました。その本業が「この先、10年でなくなるだろう」と予言された状況で私は人事部長となり、人事改革というミッションを与えられました。
これまでの経験では太刀打ちできない難題に挑もうとしたとき、考えたことは「人事部として、人事の本音を天日に晒す」ということの必要性です。そこで、従業員に伝えたメッセージは「リクルートは雇用を保証するのではなく、雇用される能力を保証したい」というものでした。あらゆる福利厚生の仕組みを次々と廃止する一方で、その資源をインターネットなどの次世代モデルに向けた社員の意識改革と能力開発につぎ込んでいきました。
ブランド力が低下して採用活動も苦戦を強いられたので、社会人版インターンシップのように会社を天日に晒す人事制度「Career View制度」も導入しました。3年でリクルートを卒業するこの制度は、リクルート出身者にどんどん独立して社外で活躍してもらい、退職後も連携することによって新しいビジネスを生み出す狙いで設立しました。
当時、リクルート社内では自社のことを「社会との浸透圧の低い会社」「辞めやすい会社」などと表現してしていました。いわば社会に開かれた「人生の乗換地点」であればいいと思っていたのです。この発想の根底にあったものが「天日干し」の考えだったと思います。