遠慮は本気のなさのあらわれ

 振り返りの中で「私はかなり早い段階で、初めに立てたスケジュールは守れないので、リスケすべきだと思っていたんですよね。」というような見解を吐露してくれる人がいる。私はコンサルタントとしてあるいはファシリテーターとして振り返りに参加しているので、そのような発言を聞いた時には「思っていただけですか? 上の人や周りの人に言わなかったのですか?」と次の質問を投げかける。

 一部の人を除いて、その質問への回答は「言えなかったんですよね」というようなことが多い。それを受けて「なぜ、言えなかったのですか?」と質問を重ねると、「まだ始まったばかりなのに、後ろ向きなことを言うのは悪いと思った」とか「他の人が頑張っているなかでは、無理だということを言いづらかった」とか「自分が無理だと言うと、やる気がないとか能力がないとか思われそうで怖かった」というような深層を語ってくれる。人によってはさらに「他の人も無理だと思っていたと思うけど、自分が最初というのは言い出しにくかったです。誰かが無理だと音を上げるのを待っていました。チキンレースでした。」というようなことを話してくれることもある。ようするに『遠慮して正直なところを伝えづらかった』ということのようだ。

 ここで、少し冷静に考えてみたい。遠慮して本当のことを言わないことの正義はどこにあるのだろうか。自分に批判の矛先を向けられたくないという保身から「遠慮した」、正しくは「逃げた」という心理は理解できる。自分の身を守るために(その時は)「本当のことを言わない」ほうがよいだろうという判断をしたのだろう。ただ、この保身からくる正義は、プロジェクトの成功にとって良いことだろうか。本当のこと(情報、状況認識)が上がってこないということは、プロジェクトマネジメントにとって正義であるはずがない。つまりこの話の構造は、「遠慮して」と上品な表現をしているものの、実はプロジェクトの成功に向けての真摯な姿勢ではなかったということなのである。厳しくいえば、本気でプロジェクトの成功を望んでいたわけではないというようにも解釈できる。そのような「遠慮」はプロジェクトのステークホルダーの誰にとっても望んでいないことであることはあきらかだろう。

 つまり、「遠慮して本当のことが言えない」ということは、成功に向けての本気のなさの表れだと言える。ネガティブなことやバッドニュースは言いづらいという人間心理になりやすいことは理解した上で、あえて正論を説きたい。「遠慮は、本気のなさの表れ」「遠慮は、プロジェクト成功の敵」なのだと。

本気だったら勇気が出る

 「でも、やはりネガティブなことは言いづらいですよ」という人もいるだろう。気持ちはよくわかる。本当のことを言うには、(程度の差こそあれ)『勇気』が必要になる。耳障りの悪い本当のことを言う勇気が必要なのだ。
 では、その勇気はどうやって生み出せばいいのか。自分の中でその勇気をどう奮い立たせればいいのか。それは、シンプルにプロジェクトの成功に本気になるということだろう。本気だったら「これは黙っていてはいけない。早く伝えなければ。」というような気持ちにかられるはずだ。そう、成功への本気さこそがこの類いの勇気の源泉なのだ。本気だったら勇気がでるものだ。勇気が出ない(つまり、遠慮に逃げ込む)ということは、実はその程度の本気度合いしか持ち得ていないということなのだ。

 あらためて「プロジェクトの成功を第一義に考えて、遠慮せずに言い合う」という行動原則をプロジェクト関係者で今一度確認しよう。それがプロジェクトマネジメントで最初に為すべきことのひとつだと考える。

コンサルタント 塚松一也 (つかまつ かずや)

R&Dコンサルティング事業本部
シニア・コンサルタント
全日本能率連盟認定マスター・マネジメント・コンサルタント

イノベーションの支援、ナレッジマネジメント、プロジェクトマネジメントなどの改善を支援。変えることに本気なクライアントのセコンドとしてじっくりと変革を促すコンサルティングスタイル。
ていねいな説明、わかりやすい資料をこころがけている。
幅広い業界での支援実績多数。