振り返りは、過去を嘆くことではなく、未来に活かす教訓を見出すこと

 これまで長い間コンサルタントの仕事をしてきた中で、失敗プロジェクトの振り返りに立ち会ったことが多々ある。「失敗した」と自他ともに認識されているプロジェクト、当初の日程計画から大幅に遅延し、追加コストも膨れ上がり、関係者が心身ともに疲弊して辛かったプロジェクトにかかわった人たち、本当は一刻も早く悪夢を忘れたい人たちを集めて行う振り返りの場である。

 ファシリテーションおよび参加者の姿勢によって、この振り返りの場は活きたものにも、形骸化したものにも変わる。振り返りの場を、過去を咎めたり・悔いたりするだけの「叱責・懺悔の反省会」だと勘違いしている人が一部いるように思う。そのような捉え方だと、振り返りの場は参加したくない嫌な場になる。

「なぜ遅れたんだ?」が原因を深掘りする問いかけには聞こえず、「スケジュールを守る能力がない意欲ない」とダメ出しをされているようにしか思えなくなり、「ご迷惑をおかけしてもうしわけありませんでした」と謝罪・懺悔をお互いに述べ合っているだけの場になってしまう。そのような場は、形だけ振り返りをして何も得るものがない、ただただ「形骸化」した振り返りである。「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」という言葉があるが、自らの実経験からも学なぼうとしない人は、愚者以下ということになってしまう。

 あらためて、振り返りの意義を確認したい。振り返りとは、プロジェクトを省みて教訓を抽出し、未来に活かそうという意図の場である。「もし、タイムマシンに乗って、このタイミングに戻れたとしたら何をしたらよかっただろうか」を創造的に知恵だしする場である。全く同じプロジェクトはないが、将来同じような状況(同じような匂い)になった時に、教訓を活かしてより良い選択ができるように学習することが、振り返りの本来の意味であることを今一度認識したい。

 その意味では、なにも失敗プロジェクトだけが振り返りの対象ではない。うまくいったプロジェクトを振り返り、良かったこと・今後も続けたいことなどを言語化して、今後の良きルーティンにしていこう。YWT(やったこと、わかったこと、つぎやること)を言語化する習慣は本当に自分たちの能力向上の礎となるものだ。