多くの地方自治体が少子高齢化による人口減少に悩む中で、千葉県流山市の人口増加率は全国的に見て際立って高い。つくばエクスプレスという新線によって、都心へのアクセスが向上した同市では、人々を引き付ける独自の施策を戦略的に展開し、それが人口増加という形で実を結んでいるのだ。そんな同市の今までの歩みと、現在注力しているブランディングへの取り組みと目標設定について、流山市役所マーケティング課課長 河尻和佳子氏に話を聞いた。
存続に対する危機意識からマーケティング課を設立
2003年、千葉県流山市に「市政は経営」であると考える異色の市長が誕生した。アメリカで都市計画コンサルタントとして活躍してきた井崎義治氏である。シンクタンク出身で行政の経験のない同氏を突き動かしたのは、強烈な危機意識だったという。
首都圏のベッドタウンである同市では、1960年から1990年にかけて大幅に人口が増えている。その市民たちが高齢化することは、歳入が減って歳出が増える形となり、市の財政を直撃する。何もしなければ市民サービスを維持できなくなる可能性もあった。さらに、つくばエクスプレスの開業に伴う大規模な区画整理もリスク要因だった。鉄道整備と沿線の地域開発を同時に行う、通称「宅鉄法」と呼ばれる法律が初めて適用され、沿線の自治体は、土地区画整理事業を一斉に行うことになったのだ。しかし、開業が遅れた時点で、日本は人口減少に転じていて、簡単に住宅が売れなくなっていた。売れ残れば市の負担が増えることになる。
この2つの危機意識から、”流山市の発展し続けるしくみづくり”として定住人口増加を目標とし、2004年に「マーケティング課」を新設したという。欧米では自治体がマーケティング戦略に基づいてPRを展開することはよく行われていたが、日本の自治体として前例はほぼなかった。マーケティング課では、企業などが活用する”強み(Strength)、弱み(Weekness)、機会(Opportunity)、脅威(Threat) ”を明らかにするSWOT分析などを駆使し、強みやポテンシャルを把握し分析から戦略立案に臨んだ。その結果生まれたポジショニングが、「都心から一番近い森のまち」だった。
「分厚い計画書を作るよりも実行しながら改善しよう」という方針のもと、施策を実施しながら改善を繰り返し行っていった。マーケティング課が最初に取り組んだのは、「流山市に目を向けるきっかけを作ること」だった。認知度の向上から全てが始まると河尻氏は語る。こうしたPR活動とつくばエクスプレスの開業が重なり、追い風が吹き始めたのである。