なぜ指標で見たいのか?その動機の2タイプ

 ところで、経営陣が研究テーマの価値を指標で見たい動機はどこからくるのだろうか。研究テーマの中身の話ではなく、指標化という"変換"をしてほしいという要請の根はどこにあるのか。

 広く一般化すると、"指標"で見たい動機には大きく次の2タイプあるようだ。

A:現場・現実をよく見て知っていて、さらにそれを指標で確認したい
B:現場・現実を見るのがタイヘンだから、指標を見ることで済ませたい

 Aタイプは、例えば、野球好きの人が試合をよく見ていて、その上で「この選手はチャンスに強いんだよね。ほら、得点圏打率が高いでしょ」といったような話である。研究でいえば「この研究がもたらす価値は□□なんだよね。この技術から生まれる商品は新しい○○市場をつくるよ。年間○○億円になりそうなんだ」といったふうに、研究内容を理解した上で、それをより補足するために指標なり数字を使いたくなる。

 一方、Bタイプは、同じく野球でいえば「忙しくて試合を見る時間がないので、成績表だけで判断したい」といった少し引いた姿勢である。研究でいえば「研究の中身の説明はいいから、指標だけで分かるように説明してほしい」といったタイプで、対象(研究内容)に関心や思い入れがない可能性がある。

技術がもたらす価値を物語として語れ!マネジメントはそれを促せ!

 Bタイプへの有効な対応法については、ここではあえて書かないでおこう。

 一方、Aタイプに対しては、真正面から価値を語っていくことがその答えになるはずである。Aタイプは、指標に先行して、どのような商品になりそうか、どのような市場を生み出せそうかを頭に思い浮かべたいというのがそのニーズの本質である。であるならば、その技術が生み出す商品や事業によってカタチづくられる象徴的な未来のシーンを語ることこそが、まっとうな対応にほかならない。

 テクノロジーの到達を性能の数値で示すことではなく、それが生み出す価値を"物語"として語ることこそが求められているのだと理解すべきである。平たくいえば、"夢"を語ること。夢を魅力的に語り、意思決定者の頭の中にも同様な夢を転写することである。

 ところが、中にはこの夢を物語として語ろうとしない、語れない研究者もいて、技術論に終始してしまう人を少なからず見掛ける。意思決定者たる経営陣は、技術がもたらす未来の価値を知りたいだけなのだ。

 それを語ることから逃げないこと、付加価値をきちんと言い当てることを研究者自身は自覚すべきであり、管理職はそのような価値語りを促していくことこそが重要な仕事になるのである。