
リモートワークができたらDXなのか、RPAを導入したらDXなのか、はやりのコミュニケーションツールにしたらDXなのか。あるいは「DXってなに?」と聞かれても、なかなか一言では説明しにくい。『ルポ 日本のDX最前線』はそんな「DXを語る難しさ」に挑戦した本だ。そこに酒井さんが込めた思いを聞いた。
『ルポ 日本のDX最前線』(酒井真弓著、集英社インターナショナル)
"推し"としてイノベーターたちの本来の姿を伝えたい
――取り上げているDXの事例は、この本のために新規に取材を重ねて書き進めたというものなのですか?
酒井 そうですね。何本かは既に書いていて、どこかに出そうかなという状態の原稿もあったんですが、そういうものも含めて入れちゃおうという感じでした。
もともと、ネットメディアで書いた政府CIO補佐官のインタビュー記事を集英社インターナショナルの編集部の方が見て依頼されたという形だったのですが、正直、最初は本を書きたいとは思っていなかったんです。それは鮮度という点で。書きためていた記事も、主にネットメディアで出そうと思ってまとめていたものなんです。ITの話はやはり鮮度があって、形にして出すまでに何カ月もかかる本というメディアには向いていないのではというのがありました。出る頃にはもう情報が古くなってしまったり、失敗・成功というフェーズが変わってしまうのではないかと。
じゃあ、なぜ話を受けたのかという話なんですが、やったことがないからやってみようかなというのが大きいですかね。私がいつもよく取材しているDXとか、イノベーションを起こそうとしている人たちって、何か新しいことをやってみようという性格の人たちが多くて、彼らに触発されているところはあるかなと思います。
――本の中でも幅広い分野を取材されていますが、酒井さんには日本のDXはどう見えているんでしょうか?
酒井 よく「遅れている」とか「他の国と比べてイケてない」というトーンの記事が多いと思いますが、私は全然そうは思っていません。DXのやり方は1つではなくて、教科書があるわけでもなく、その会社の課題に対してどうアプローチするかという手段の話だと思っているので。決して何か1つのキーワードでは語れないもの、ですね。
何かイノベーションを起こそうとしている人たち、正社員時代もそうだったんですが、フリーになった今も、私は社内外のそういう人たちにいろいろなことを教えてもらって育ってきたところがあるので、彼らの普段は見えないカッコよさだったり、いいところをたくさん見せてあげたいというのが、この本なんです。言葉を選ばずに言うと、彼らがイケてないといわれているのがすごく嫌だったんです。"推し活"みたいなもので、私が推したいDXの人たちがいるわけです。その人のすごく良いところをいかに他の人に伝えるか、それが今回、本の形だったということです。
取材したトライアルの店舗(スーパーセンタートライアル長沼店)でお客がスマートショッピングカートの使い方を教え合う様子。興味津々な高齢者が多かった
――なるほど。"推し"なんですね。具体的な"推し"との出会い、取材に至るプロセスについて教えてください。
酒井 私は結構、仕事が好きで、普段からずっと仕事をしているような感じなんですが、その中で面白いなと思ったものにふらふらっと近づいていくところがあるんです(笑)。この本で取材している人たちとの出会いはそれぞれなんですが、例えば、音声合成の事業を展開しているアクロスエンタテインメントとは、運営の仕事で入っていた音声合成のイベントを通して出会いました。すごく面白いなと思って、いつか何か一緒にやりたいなと思ったのがベースになっています。
面白いと思ったのはまず、声優事務所なのに合成音声の開発に積極的に関わっているという在り方ですね。声優事務所にとってはディスラプターとなり得る技術をなぜ積極的に取り入れようとするのか。声優文化は長い歴史があるし、俳優さんの領域は結構、不可侵的なものですよね。それでもAI声優をやるってどういうことなのかと。そのチグハグさが面白いなと、まず思いました。
そして、少し調べていくと、心の話になるんです。実はこれは、アクロスエンタテインメントで音声合成のプロジェクトを進めている松木靖卓さん、彼が東日本大震災でエンタメにできることを考えていたとき、仕事仲間だった浅見敬さんという方と再会して「スマートスピーカーで好きな声優さんと会話ができたら人を笑顔にできるのではないか」とAI声優を作り上げていくというストーリーなんです。キッカケと出会う人が交わったときにすごくいい相乗効果があってイノベーションが生まれるみたいなところがすごく面白いなと。そんなふうに、自分が面白いなと思ったことを伝えたいと思うんですよね。
たぶん人と人との出会いとか、興味を持ったことを一生懸命やるとか、そういう本質的なことがDXだったりとかイノベーションには非常に重要だということを伝えたかった。これを直接のメッセージで伝えるのではなく、エピソードトークで伝えたかったというところがあります。
NTTドコモ、アクロスエンタテインメント、GADGETが登壇したVoice UIのミートアップ。筆者は企画・運営担当として関わっていた
――DXも本質は人と人の出会い、そこからイノベーションが起こるのだというところなんですね。この本で取り上げている人たちは継続的に取材をされたんでしょうか?
酒井 そうですね、長期的な付き合いですね。1時間、2時間の取材をしたというより、一緒にイチゴ狩りに行ったり、焼き肉に行ったり、ワーケーションをしたり、この本にも登場するイカセンターに行ったりとか、そういうことを一緒にしているメンバーではあるんです。仕事を一緒にやったりというケースもあります。普段話していることとか、飾らない部分を見てきてはいるので、そういうところが、もしかしたら行間から現れているのかもしれません。
情シスでの経験がこの本の執筆につながっていく
――酒井さんの経歴を教えてください。酒井さんがITに関わるようになったのはいつ頃からだったんですか?
酒井 もともと紙の出版社を志望して就活をしていたんですが、初任給に目がくらんでアイティメディアに入ったんです。ほぼ初めて「IT」というものに触れたのはそこです。それまでは、携帯電話は好きでよく買い替えたり、スペックとか知ってはいたんですが、それくらいなものでした。
入社して1年目は広告営業に。でも、そのあとジョブローテーションで情シスに異動して、そこで初めてLinuxとか、一般的にITと呼ばれるような仕事に携わりました。いわゆる技術部門で、ごく小さな部屋に私より年齢の高い男性ばかりという。いきなり若い女性が入ってきても、話し掛け方も分からない、どう教えていいかも緊張しちゃうというような人たちで。最初はなかなか打ち解けられなかったんです。でも、1週間後くらいに、この部署、なんかフィギュアが多いぞって気付いて。もしかして、これが話し掛ける材料になるかもしれないと思って、アニメのフィギュアを会社に持ってきて机に置き始めたら、そういう人なんだと思ってくれたのか、周りが話し掛けてくれるようになって。いろいろなことを教えてもらいました。LinuxとかSQLのコマンドとか、分からないことがあればすぐ教えてくれる。それが本当にITとの出会いで、同時にITに携わる人の愛らしさ、恥ずかしくて話し掛けられないとか、そこに気付いて、たぶんそれが今も続いている感じです。
――なかなか珍しいジョブローテーションですよね。
酒井 たまたま前にいた人が辞めてしまったというのもあって、まだ営業部で実績があるわけでもなかったので動かしやすかったんだろうなと思います。
情シスには3年いたんですが、ちょうどITの基盤がクラウドに移行した時期で、クラウドを使うようになって情シスの人たちの言動がすごく前向きになる様子を見ていたんです。今までオンプレでたくさん時間がかかっていて、障害対応も、物理的なサーバを相手に自分たちで作業をしないといけない。それがクラウドにすることで、ある意味、手離れがよくなって、もっと本質的な課題解決に当たれる。頭で考える、戦略を考えるというところにもっと時間をかけられるようになった。その様子を、変化を目の当たりにして、単純にすごいなって思ったんです。ITはこういうふうに、人をも変えてしまうんだなと。そういう意味で、ITに信頼を置いているというのはありますね。
『涼宮ハルヒシリーズ』が好きな上司からのお下がりも含め、最終的にはこうなった
――情シスのあと、記者になったという形なんですか?
酒井 異動でメディアの部門に戻ることになって。技術部にいたいと泣いて上司を困らせたのですが、結局、会社の決定は変えられず・・・。荷物を詰めた段ボールを持ってメディアの部署に向かうときに、部署のおじさんが段ボールを持って一緒に付いて来てくれて。そのとき障害が発生してすぐに帰っちゃったんですが。メディアに帰ったときに、何かそういう人たちを書きたいなと思ったんですよね。
とはいえ、記者になったのはフリーになってからで、メディア部門ではIT関連のイベントの企画運営に携わっていました。本当にITのここ5、6年の歴史そのままですが、最初はバックアップとかネットワークとか、オンプレ系の技術のイベント、それが段々とAWSとかGoogleとかクラウド系になっていって、ずっとあるのがサイバーセキュリティですね。年間60とか70とかそのくらいの数のイベントを企画して、講師と打ち合わせして集客して、というのを延々とやっていました。
楽しかったですね。ITっていろいろな天才がいがちな領域で、例えば、サイバーセキュリティではハッカーと呼ばれるような天才たちがいて、その人たちに講演をお願いして、最初に出てくる講演資料を一番に見ることができる。それが結構、無茶苦茶だったりするんですが、だけど話を聞くと「この人、本当に天才だな」と感じる。講演を聴きに来てくれた人にどういう言い方をしたら伝わるかなというのを一緒に考えていく過程がすごく面白かったんです。もちろん、しっかりした講演資料を作られる方、任せておいて大丈夫という人が多いんですけど、中には・・・。でも、そういう人こそ"推せる"んですよね。ロイヤルホストとかで4時間、5時間と打ち合わせをして、こうしたらいいよと。推しのためにと思ってやっていましたね。
ただ、天才だったり、実績を残している、すごい人たちに会って、話をするたびに、自分が対等に会話ができていないなってすごく思うようになりました。冷静に考えれば、もちろん、年齢も全然違いますし、やっていることも違うので、それはそうなんですが。でも、それがすごく自分の中でコンプレックスになってしまって、何か経験を増やしたいなと思ったんです。そのまま会社にいたら、その後の職業人生は何となく描ける。でも、それだけでは対等にはなれないと。それで、某スタートアップの広報とアイティメディアを含めて幾つか、という形で半分正社員、半分フリーランスとして働くことにしました。結果的に、半分正社員の方はうまくいきませんでしたけど。気持ちはメディアにあって、メディアの人として対等に彼らと会話をできるように成長したいと思ったのに、片やスタートアップにいるというのが・・・。気持ちが中途半端になってしまって。端的に言うと、推せなかったんですね。
――推せるものを推すというのが、酒井さんの軸になっているんですね。
酒井 私の場合は推せないと駄目なんです。今はフリーランスで広報・PRの仕事もやっているんですが、自分が推せる会社でしかやらない。以前、ロイヤルホストで講演資料を一緒に作っていた天才にも「あなたは秋元康ですね。僕は踊りますよ、あなたのために」と言われたりしました(笑)
変革に挑戦している人を全力で応援したい
――最後に、今後どうなってほしいとか、イメージする日本のDXの未来像について教えてください。
酒井 そうですね、難しい質問ですね。私はみんなに楽しく仕事をしてほしいんです。みんなというのはいろいろなみんな、です。読者の方もそうでし、この本で取り上げた人もそうです。
取り上げた人に関しては、何かあってもこれを読み返して元気になってほしいと思っています。これからも、何かうまくいかないことが起きたり、抵抗勢力に阻まれて改革がうまくいかなくなったり、ということはきっと出てくると思います。そういうときに、「今日もうまくいかなかった」って家で酒をあおっていたら、この本が目に入って、「自分、取り上げられたことがあったな」とパラパラめくって、「自分、がんばってるな」と、そう思ってほしい。例えば、コープさっぽろの対馬慶貞さん。彼はレガシーなところで改革をしていて、今後、何かうまくいかないことに突き当たるかもしれない。そんなとき、この本の中で部下の人が対馬さんに対して語っている一行が目に入ったら、また元気になって、やる気を取り戻すんじゃないか。そんなことを考えて書いています。
コープさっぽろ本部で取材に応じてくれた田名辺健人さん、丸本健二郎さん、対馬慶貞さん、画面の中は長谷川秀樹さん
読者の方にとっては、他のDXの記事とか書籍で日本はIT後進国だとかいわれたり、残念だなみたいに思う記事が多いと思うんですけど、そんなことないんだと伝えたい。この本を読んで、そうではないDXの取り組みがあるということを知ってほしい。「がんばれないな、自分」と思うとき、「他の人もこうがんばっているから、自分もがんばろうかな」と思ってほしい。そういうものがあれば、楽しく働けるのではないかと思っているんです。「北風と太陽」じゃないですけど、ずっとイケてないとかカッコ悪いと言われ続けていたらそうなってしまうじゃないですか。それよりは、こういういいところもあるよというふうに言ってあげた方がみんな楽しく働けるんじゃないかなと。それがこの本です。
「変える」というのは本当にカロリーが必要なんですね。今のまま、緩く下がっていくかもしれないけど、そうじゃないと思って何かをやろうとしている人は全力で応援したい。その人のがんばりを通して、その他の日本の改革をしようと思っている人たちが勇気づけられたり、明日からがんばろうかなくらいに思ってくれたらいいなと思います。






