過去30年にわたる生産基盤の海外シフトや中韓メーカーの勃興、さらにこの10年で加速したデジタル化の浸透によって、ものづくり大国としての日本の地位は揺らいでいる。ポストパンデミックの時代、イノベーションの主軸がデジタルに移っている今の時代に、日本の製造業はどのように戦うのか。その答えを探るべく、日本経済を牽引してきた「ものづくり」の雄に話を聞く。
第3回の今回は、海外に工場を持たず、国内生産にこだわり続ける日本有数の光学メーカー、シグマの山木和人社長(全3回)。ものづくり現場におけるテレワークの実態や、「濃密な、協力し合う人間関係の中から再興のものをつくる」というシグマの生き残り戦略について話を聞いた。
・第1回「コロナを奇貨に、働き方、生産性、DXの三兎を追う」(アルプスアルパイン栗山年弘社長)
・第2回「マウスからカーナビまでニッチトップを体現する凄み」(アルプスアルパイン栗山年弘社長)
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(文:杉浦美香@みんなの試作広場)
生産現場におけるコロナ対応の現実
──新型コロナの影響でテレワークが進んでいます。ものづくり現場におけるテレワークの状況についてお教えください。
山木和人社長(以下、山木):緊急事態宣言が出る直前に、本社ではリモートワークを導入しました。当初、政府の目標が社員の2割くらいだったため、まずは2割を目標にしました。この時に、レンズや測定器などの機器を自宅に持って帰っていいと決めましたが、機器が大きすぎたり、製品が10個程度あったりして、そもそも持って帰ることができないという問題が生じたので、エンジニア中心に出社を再開しました。その後、緊急事態宣言も解除されたこともあり、7月から一度、全社員出社に戻しました。ただ、毎日200人単位で感染が広がってきましたので、7月中旬から本社で3割程度に、9月からは6割出社に変更しています。
毎日来る人もいれば、全然来ない人もいますし、その中間の場合もあります。特に技術者は出社しないとできない業務もありますし、CADなどの設計ツールはパソコンのパワーを必要とします。納期が近く、わずかでも効率を落とせない場合、出社が必須になってきます。
工場は、基本的に全員出社ですが、創業以来、初めて時差出勤を導入しました。工場は福島県の会津にありますが、ほぼ全員が車出勤なので、通勤上の感染はありません。ただ、点在している駐車場から工場まで移動する往復のマイクロバスで「密」が発生するため時差出勤を始めました。チームごとに午前7時から30分おきで出勤する体制にしています。
──開発体制を教えてください。
山木:8割が本社、2割が工場です。(工場では)製品開発や生産技術、金型の設計、治具工具の設計部隊を含めるともう少しかな。人数としては、約1720人の従業員のうち技術系のスタッフが約240人、内訳は本社で130人、会津工場で110人程度になります。
──テレワークや時差出勤の評判はいかがですか。この事態がおさまっても続けられますか。
山木:好評です。保育園のお迎えなど、個人によって朝早めに来て早めに終わることもできれば逆もある。まだ決めていませんが、工場の時差出勤も、本社の出社時間を30分刻みで申請する方式も、コロナが終息しても続けていいと思っています。
実は、2005年ごろ、父が社長の時代ですが、一度フレックス制を導入したことがあります。当時、我々の業界で一般的だったので「我が社」もとなり、コアタイムを決めたのですが、かなり効率が落ちてしまいました。いつ誰が来るかわからず会議を設定できなかったり、社会人としての規律が身についていない若手は時間管理ができず、前日に夜更かしして10時のコアタイムに遅刻してしまったり・・・。半年ぐらいで断念しました。