スウェーデン西部ヨーテボリのチャルマース工科大学(Lindholmenキャンパス)。同校は1997年に“Chalmers School of Entrepreneurship”を発足させた。 Photo by Blondinrikard Fröberg, under CC BY 2.0.

 日本のオープンイノベーション促進には何が必要なのか? 通商産業省/経済産業省で貿易振興、中小企業支援などに携わり、現在はベンチャーエンタープライズセンター理事長を務める市川隆治氏が、諸外国の実例とデータに基づき、オープンイノベーションの環境について議論を重ねていく。(JBpress)

【第10回】「フランスの起業を変えたマクロン大統領と『Station F』」(http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/54789

戦略的な小中高レベルの起業家教育

全体で300ページを超える“Entrepreneurship Education at School in Europe”レポートの表紙。

 ヨーロッパにおける起業家教育全般については、2016年の“Entrepreneurship Education at School in Europe”レポートに詳しい。全体で300ページを超える大作であり、後半には各国別の報告もある。

 同レポートによれば、ヨーロッパで最初に起業家教育の重要性を指摘したのは2003年の“European Green Paper on Entrepreneurship in Europe”ということである。シリコンバレーが花開いたのが1980年代ということを考えると、意外に遅かったと言えるのではないか。これが、教育と起業文化の発展とをリンクさせた、最初のEUの政策提言であるという。

 エストニアの教育改革については、既に第4回で触れたところであるが、このレポートの国別報告においてもエストニアは光っている。

「起業家教育は、小中高レベルで一般的能力およびカリキュラムをまたがった目標として、明示的に国のカリキュラムの中で認識されている」

「国のカリキュラムにおいて、起業家教育の学習成果は次のように定義されている。
・小学生レベルでは、例えば、モノを買うにはお金を払う、お金は仕事をして稼ぐということを理解し、また、他の子と協力するノウハウを学ぶことが期待される。
・中学生レベルでは、例えば、異なる教育レベルの人たちの労働市場における機会を理解し、また、所有者、起業家、雇用主、従業員や失業者となることの意味を知ることが期待される。
・高校生レベルでは、例えば、職業選択のひとつとして起業があることを理解し、また、自分たちが起業家となることが可能であることを理解することが期待される。」

 そして、先生に対する教育やサポートも重要ということで、国や関係機関が支援していると報告されている。

 日本の小学校で、そのような教え方をしているだろうか? 日本の高校生が職業選択のひとつとして、起業家を考えているだろうか? このように考えると背筋が寒くなる。

 スウェーデンではどうだろうか? 同レポートでは、スウェーデンにおける起業家教育の学習成果としては、次のようなことを学ぶ機会となるべきであるとしている。

「・個人、組織、企業および社会にとって起業が何を意味するかを理解する。
・アイデアを、プロジェクトをスタートさせるための活動に変える能力を養う。
・プロジェクトを実施し、ベンチャー企業を運営する能力を養う。
・プロジェクトやベンチャー企業を完成させ評価する能力を養う。
・アイデアや製品が、どのように法律やその他の規制によって保護されているかを学ぶ。
・ビジネスメソッドを活用する能力を養う。」

 もちろん、先生に対する教育は重要であり、資金的支援も含め、国の機関が起業家教育を発展させるべく学校をサポートし、促しているとしている。

 このように、特に北欧における小中高レベルの起業家教育は、戦略的に実施されていると同レポートは高く評価している。ぜひ日本の現状と比較してみてほしい。

起業家教育で人々をサポーターに

 さらに、大学レベルにおける起業家教育については、特にスウェーデン西部のヨーテボリにあるチャルマース工科大学の“Chalmers School of Entrepreneurship”が有名である。今年(2018年)10月に名古屋大学で開催された、次世代アントレプレナー育成事業(EDGE-NEXT)の「東海カンファレンス2018」において、同Schoolの教授の話を聞く機会を得た。

 私がスウェーデンに着任していた約30年前には、同国で“entrepreneurship”という単語を聞くことはなかったがと問いかけると、「それはその通りで当時は起業という発想がなかった。自分が教えている“Entrepreneurship”を冠した Schoolも1997年に発足させた」との回答であった。私は1992年にスウェーデンを離任しているので、その5年後ということになる。

 さらに、スウェーデンの起業家教育の内容は米国流を踏襲したものかと問うと、「自分も米国で学んでおり、米国の流儀を基礎にしているが、ニュアンスが少し違う」と言う。ヨーロッパの価値観では、起業家教育は“Value for others”に力点が置かれているが、ここが米国では“Value for myself”に力点があるということだ。日本人の思考回路は、ヨーロッパに近いと言えるのかも知れない。

 この点について、フランスでは学校教育で哲学が重視されているが、そうした哲学的思考や倫理感が昨今のEUの強力な個人情報保護指令につながっており、これは米中のベンチャー企業による力任せの情報一元管理と一線を画するものだとの考え方もある。

 なお、本年10月の同イベントでは、同時に米国のバージニア大学の教授の講演もあったが、そこで面白いエピソードを聞くことができた。いわゆる「嫁ブロック」についてである。

 大企業に勤める夫がスピンアウトして起業しようと妻に言ったところ、妻がとんでもないと反対し、夫はその教授に相談した。教授は「それでは奥さんを私の授業に連れてきなさい」とアドバイスし、妻は授業を受けに来るようになった。結果、妻の方がアントレプレナーシップに熱心になり、彼女がスタートアップを設立したというのである。

 また、「起業家教育は、起業を目指す学生だけにすればいいのか、すべての学生を対象とすべきか」という質問に対しては、同教授は「科学をすべての学生に教えることにより、科学者だけではなく、すべての人々が科学のサポーターとなってくれているのと同様に、起業家教育もすべての学生を対象にすることにより、人々が起業のサポーターとなってくれる」と回答していた。

 フランスにおける起業家教育事情については、前回触れたところであるが、さらに最新の報道についても補足しておきたい。

 本年10月11日に、Station F によるパリ政治学院(Sciences Po)の学生に対する説明会があった。そこで、本人もパリ政治学院の卒業生である Station F のディレクター(女性)は、米国での経験を振り返り、「カリフォルニアでは飽和状態になりつつあるとの感じを持った。フランスに帰ってみると、この分野はまだ新しく、すべてが構築途上であり、自分が影響を及ぼす余地があると感じた。フランスのエコシステムはさまざまな挑戦に直面するが、それが自分にとって魅力と感じた。米国ではいささか粗野な文化が支配的であるが、フランスでは健全さを感じた。2009年にフランスに帰ったときには、大学での起業家教育のプログラムはほとんどなかったし、インキュベーターを有している大学も限定的であった。今や、それらはすべての大学に備わっている! すばらしいことだ」と述べている。

 また、パリ政治学院の教授に、高校レベルでの起業家教育について聞いてみると、「本当に起業することをプッシュするのは、高校生では早すぎるとは思うが、考え方を教えておくことは重要である」との答えであった。

日本の高校生に「起業“力”教育」を

 このようなヨーロッパにおける起業家教育の現状は、日本にとって大変参考になろう。米国の周回遅れで、米国のやり方を導入しながら起業家教育を始めているという点では日欧は共通しているが、それでもヨーロッパの方が日本より半歩進んでいるように思える。米国の流儀をそのまま受け入れているようで、ニュアンスが少し違うと言う。自分が儲けるということより、社会を変えるという意識が米国より高いということではなかろうか。この方が日本人の感性には近いような気がする。

 高校生レベルでの起業家教育については、確かに本当の起業を目指す教育は早過ぎるかも知れないが、社会的課題を解決するためにチームを作ってビジネスプランを練り上げてみる、もしくはそういうことに情熱を持つことを教えるのは重要ではなかろうか。その際、「起業家教育」という言葉が高校生に起業を勧める教育と狭く捉えられるのであれば、確かにそれは時期尚早と思えるので、何かいい言葉に変えてもいいのではないかと考えている。

 そもそも“entrepreneurship education”の和訳が「起業家教育」というのは正しいのか? 逆に日本語の「起業家教育」を英訳すれば“entrepreneur education”になるはずではないか? つまり、“-ship”という語尾が正確に和訳されていないのである。

 では”-ship” とはどういう意味か? 辞書によれば、“-ship”は、名詞につけて抽象名詞を作る語尾で、意味合いとしては「状態・性質、身分・地位、能力・技量」ということである。最後の能力・技量の例としては“leadership”があるというが、“entrepreneurship”はこれに類似しているものと思われる。ところが“leadership”については日本語でも「リーダーシップ」とそのままカタカナ語として通用させている。“-ship”は訳しにくいのであろう。

 そこで“entrepreneurship education”の和訳であるが、「起業力教育」としてはどうかと考えた。起業する力、情熱を育成するという意味である。「起業家教育」という言葉が生徒を起業家にするための教育と狭く捉えられ、それは高校生には時期尚早であるとの反発を招くのであれば、これは現在の日本の若者に欠けている起業に対する情熱を育むものと位置づける。

 科学をすべての学生に教えることにより、科学者だけではなく、すべての人々が科学のサポーターとなってくれているのと同様に、起業力教育もすべての学生を対象にすることにより、人々が起業の素晴らしさ、必要性を理解し、起業のサポーターとなってくれることを目指すということである。

 具体的に何を理解してほしいのかについては、“Entrepreneurship Education at School in Europe”レポートでエストニアが明確に言っているように、

「・小学生レベルでは、例えば、モノを買うにはお金を払う、お金は仕事をして稼ぐということを理解し、また、他の子と協力するノウハウを学ぶことが期待される。
・中学生レベルでは、例えば、異なる教育レベルの人たちの労働市場における機会を理解し、また、所有者、起業家、雇用主、従業員や失業者となることの意味を知ることが期待される。
・高校生レベルでは、例えば、職業選択のひとつとして起業があることを理解し、また、自分たちが起業家となることが可能であることを理解することが期待される。」

 これが大いに参考になるであろう。それに日本の生徒の世の中への無関心さを変えるため、社会的課題解決に対する情熱を植え付けることができれば、大学に入ってからの自らの行動を変えることにつながるのではなかろうか。もちろんそのためには、同レポートで各国が指摘しているように、先生に対する教育やサポートも不可欠である。

 科学をすべての学生に教えることにより、科学者だけではなく、すべての人々が科学のサポーターとなってくれているのと同様に、起業力教育もすべての学生を対象にすることにより、人々が起業のサポーターとなってくれる・・・。それを目指して、全高校生に一度は起業力について考えてみてほしいものだ。