バルト3国との縁
なお、少し余談になるが、エストニアをはじめとしたバルト3国には、少なからぬ縁があるので触れておきたい。何しろ、安倍総理も訪問した重点国である。
28年前、バルト3国がソ連からの独立の回復を果たす前年の1990年と、独立回復後の1992年の2回、バルト3国を訪問した。当時、私は日本貿易振興機構(JETRO)ストックホルム事務所長として、スウェーデン及びフィンランドを担当していたが、バルト3国の独立の回復に当たり、JETROとしては、モスクワより、西側に属するストックホルム事務所が管轄した方が適当であるとして、当面の情報収集に当たることとしたのである。
今でこそ、バルト3国周遊旅行が新聞の広告欄に載っているのは珍しくもないが、当時はソ連のベールの中に隠れ、ほとんど情報がない状況であった。そこで、かの地に詳しいスウェーデンのコンサルティング会社に同行を依頼し、日本との貿易促進のために情報収集に出かけた。
スウェーデン人からすると、1940年にかの国々がソ連に併合された際、多くの人々がスウェーデンを頼って船でバルト海を渡って助けを求めてきたが、中立を保ちたかったスウェーデン政府は彼らを追い返したとの苦い思い出があるとのことであった。そこで彼ら避難民は米国に行き、シカゴ周辺に多くの末裔が住んでいるという話を聞いた。
3国のうち、ラトビアとリトアニアはインドヨーロッパ語族に属し、しかも古代語の特徴を一番残しているということで、言語学者にとっては研究対象として垂涎の的ということだ。特に南のリトアニアは、南ドイツのように山岳地帯に小規模の村々が散在しているため、言葉の俗化を免れ、最も優れた研究対象だと聞いた。
そのリトアニアの首都、ビリニュスでは、放送局がソ連に占拠されており、大型の戦車がフェンス越しに異様を放っていた。フェンスのこちら側には、殉死した市民を弔う花束がたくさん添えられていた。
ラトビアの首都、リガは百万都市として栄えていた。そのために、ラトビア語は少し俗化していると聞いた。
一番北のエストニアはアジア系のフィン系の末裔であり、同じフィン系のフィンランドとは言葉が似ており、ソ連時代、西側の情報はフィンランドからエストニアを経由してソ連国内に伝播していたということだ。従って、モスクワ当局もエストニアには一目置かざるを得なかったとも聞いた。また、バルト3国は静かなる抵抗として、首都のタリン、リガ、ビリニュスを結ぶ「人間の鎖」運動*3を成功させている。
*3 特定の日時に、一斉に国民が3都市を結ぶ道路に並んで手を結ぶ。