文科省の職員が、1,700人に異動情報を誤送信
今年1月、文科省は本来1人の職員に送るはずの人事異動情報メールを、送信者が誤って全職員1,700人に送ってしまったことを公表しました。なんでもメールシステムを変更したばかりで「職員が不慣れだった」とのこと。
我々もシステムに変更があると、こういったうっかりはありますよね。さすがに人事異動情報はうっかりでは済まされませんが……。
筆者が懸念しているのは、その後の文科省の対応です。これをもって堂々と「今後、重要文書は紙でやりとりする」と対応策を発表しているのですが、そんなことで教育のICT活用は今後進むのだろうか、と心配になってしまいました。
「リスクがあるから、メールをやめる」のではなく「メールでのリスクを最小化する」という方法を検討しなければ、いつまでたってもICT活用は進みません。今回の事例で言えば文書にパスワードをかける、パスワードは別メールで送る、というお馴染みの単純な方法でも十分に防げたはずです(この方法がセキュリティ上、必ずしも効果的とは言えないという意見もあります)。
文科省は今後職員のICTリテラシーの向上に十分気を払って欲しいな、と思う次第です。
リテラシーの高さから生まれた江戸時代のメディア
テクノロジーがいくら発達しても、それを扱うリテラシーが十分に養われていないと機能しません。歴史上、こんな例があります。
15世紀のヨーロッパでは活版印刷技術が発明され、それまでの木版印刷は廃れました。テクノロジーの進化です。残念ながら日本にはその技術は伝わらず江戸時代は木版印刷のままでした。
ところが印刷技術の遅れに比して瓦版というメディア(読売とも言われる)が江戸時代の日本にはあり、一般大衆の読み物として広く浸透していたそうです。一方、ヨーロッパには一般大衆の読み物は多く存在しませんでした。
テクノロジーで後れをとる日本に瓦版というメディアが生まれ、ヨーロッパには生まれなかったのは何故か。それはひとえに識字率(リテラシー)に起因すると言われています。日本人のリテラシーが高いので、テクノロジーが遅れていてもメディアが生まれたわけです。
つまりメディアというのは「リテラシーとテクノロジーのクロスポイント」に表出するもの、と言えます。教育とICTも同じです。テクノロジーがいくら進化したところで、リテラシーが高まらなければ普及しないどころか、機能すらしません。