経営不振と言われつづけたJAL(日本航空)が自力での飛行をあきらめ、会社更生法の適用を申請したのは2010年1月19日午後5時のことだった。

 そうなってしまった原因の大半は、当然、JAL自身にある。そのJALの「経営破綻」は、日本的経営の大きな柱となってきた「メーンバンクシステム」が大きく揺らいでいることを見せつけてもいる。

資金だけでなく人材も供給してきたメーンバンク

 「平成不況」と言われる大不況の大きな原因を「わが国の金融システムが行き詰まって機能不全を起こし、信用不安が起こったことが大きい」と指摘している『「失われた十年」は乗り越えられたか』(下川浩一著、中公新書、2006年)は、その「金融システムの行き詰まり」の理由を次のように述べている。

 「それは何よりも、戦後の日本の金融システムが、一貫して大蔵省主導のいわゆる護送船団方式による、メーンバンクシステムを柱とする間接金融方式に偏ったものだったことによる」

 敗戦の焼け野原から再スタートした日本企業は、極端な資金不足に悩まされていた。1948年に証券取引法が制定されて、証券市場の整備と証券民主化政策による大衆投資の促進が当時の政府によって図られたものの、思うようには進まなかった。戦後の混乱で食べるにも困る人があふれかえっていたのだから、大衆投資どころではなかったからだ。

 そうした中で企業の資金需要を支え、日本経済を高度経済成長に導く役割を果たしたのが、大蔵省(現財務省)にバックアップされた銀行だった。その銀行は、資金供給のみならず、さらに大きな役割を果たしていた。

 最大の融資額を占めている銀行がその企業の経営に対しても「責任」を負う、という役割である。「あの企業のメーンバンクはあの銀行だから安心だ」というわけで、企業の信用を測るバロメーターにもなっていた。これがメーンバンクシステムの正体でもある。

 自らがメーンバンクとなっている企業が経営危機に陥ると、資金供給だけでなく人材までも供給して、銀行が再建の先頭に立ってきた。