1億総中流――1958年から始まった内閣府による「国民生活に関する世論調査」の第1回調査結果では、自らの生活レベルを「中流」と答える日本国民が7割を超えた。これが60年代までに8割を超え、70年代には9割となった。
70年の国勢調査で日本の総人口が史上初めて1億人を突破し、その大半が中流という意識を持っていたことから生まれたのが「1億総中流」という言葉で、79年に「国民生活白書」が「国民の中流意識が定着した」と評価したあたりから盛んに使われた言い方である。
その意味を考えてみれば、肯定的と否定的、両方があるように思える。ただし、今も当時もマスコミが現状肯定的な発言をするはずもなく、揶揄的に使ったことは間違いない。否定的に使ったはずである。
どう否定的かといえば、「中流に甘んじて上を目指さない日本人は情けない」というわけだ。68年に日本の国民総生産(GNP)は世界第2位となり、戦後の焼け野原からスタートした日本経済が目指した「(先進国に)追いつき、追い越せ」路線はほぼ成功したと思われた。しかし、米国が残っている、まだ世界第1位の座がある、中流のままでいいのか、と苛立つ人たちもいたのだ。
ただし、日本を占領していた米国は他とは違うという潜在意識があったのか、「米国に追いつき追い越せ」という意識は日本人にそう強くなく、大方の日本人は世界第2位に満足していたのではないだろうか。
それどころか「焼け野原から短期間で、よくぞここまで来た」と自分で自分を褒める気持ちの方が強く、不満どころか満足感を持って「中流」と答えていたのではないか。「2位じゃダメなんですか?」というわけだ。
企業内の「横並び」が日本人の中流意識を支えた
経営にとっても、この日本人の中流意識はプラスだったはずである。
社員の下流意識が強ければ不満も大きく、賃上げ圧力も強力に働くことになる。逆に上流意識が強ければ「仕事なんかやってられるか」となって、労働力不足に苦しまなければならなくなる。
大半が中流意識ということは、賃上げ圧力もほどほどに、労働力不足に悩むこともない、誠に便利な経営環境なのだ。社員を中流意識に閉じこめておくこと、これこそ日本的経営の基本だったと思える。