10月15~18日に開催された「中国共産党17期5中全会」(注:「5中全会」とは5回目の全体会議という意味)で、習近平の中央軍事委員会副主席への就任が決まった。
これで、2012年秋に予定されている第18回党大会後に、習近平が党総書記に就任することが確定したと言ってよいだろう(人事は党大会直後の「18期1中全会」で行われる)。
2007年の第17回党大会で、習近平は序列第6位の政治局常務委員に選出された。それ以来、胡錦濤後の党総書記に就任することが既定路線となっていた。今回の人事は、その路線をさらに固めるものとなった。
本来なら、習近平の中央軍事委副主席への就任は、昨年の「17期4中全会」で行われるのが順当だった。
胡錦濤主席の場合は、2002年秋の第16回党大会で党総書記に就任したが、その3年前の1999年の「15期4中全会」で中央軍事委副主席に就任している。その前例を踏襲すれば「順当」、という意味である。
習近平のポストは、総書記就任前の胡錦濤と全く同じ国家副主席、政治局常務委員、中央党校校長であり、唯一就任が遅れていたのが中央軍事委副主席であった。胡錦濤の後継者として必要とされるポストを、習近平は1年遅れで今回すべて整えたことになる。
「保守派」のバックアップを得て後継者ポストを手に入れた習近平
中国内部では、胡錦濤をトップとする共産党青年団(共青団)出身の「団派」と、党幹部子弟の「太子党」という2大勢力があり、両者間での権力葛藤の存在が指摘されてきた。
「団派」は、鄧小平時代に改革開放路線を推進した胡耀邦以来の改革重視派である。経済成長も単に量的拡大を目指すのではなく、格差是正や環境への配慮を求める。胡錦濤の「科学的発展観」に基づく「和諧(調和の取れた)社会建設」路線がそれを象徴する。
胡錦濤主席は、2007年の第17回党大会で、「団派」の後輩である李克強・常務副総理(当時は遼寧省党委書記)を後継者に推していた。
他方、「太子党」には江沢民時代に既得権益を得たグループも含まれ、経済成長重視の保守派を形成する。習近平は、習仲勲・元副総理を父親に持つ「太子党」の代表格である。江沢民・前国家主席や曾慶紅・前国家副主席とも近い。
第17回党大会で習近平(当時は上海市党委書記)はダークホース的存在だったが、江沢民、曾慶紅の強力なバックアップを得て、胡錦濤の後継者ポストを手に入れた。以来、習近平は着々と後継者の既定路線を歩んできた。