大学や大学院の役割は、大きく2つに分けられる。1つは、「研究・開発機関」としての役割だ。この場合、研究の成果を出すことが第一義であるため、優秀な教員や学生が多ければ多いほどよい。有名な研究者教授陣が名を連ねる大学などは、こちらのタイプに属している。

もう1つは、「高度専門職人材の育成機関」としての役割だ。この場合、人材育成に軸足をおいているため、研究・開発はその副産物として扱うことが多い。産業技術大学院大学は、まさに後者の役割を果たしている。

産業技術大学院大学は、東京都品川区東大井に学舎を構え、東京都の産業活性化に貢献する高度専門職人材を育成している。同校の学長である石島辰太郎氏は、「社会を豊かにするためには、研究者の数十倍のプロフェッショナルが必要。当校の使命は、そのようなプロフェッショナルを育成すること」と断言する。

産業技術大学院大学 学長 石島 辰太郎 氏


その言葉の通り、同校ではプロフェッショナルを育成するために教育の質向上に努めている。

その1つが学生による教授陣への評価制度だ。同校では、学生の満足度を測るため、学期ごとに講義の評価アンケートを実施。学生がどれだけ講義内容に満足しているかを知る指針としている。教授陣は、そのアンケート結果を分析し、授業を改善するためのアクションプランを作成して、次学期から実施することが義務付けられている。また、このアンケート結果から学生からの評価が高い教授を選び「Best Professor of the Year」として表彰することで、教授群のモチベーションアップにも貢献。こうして、講義のクオリティが担保されているのだ。

また同校では、全講義科目を録画・保存しており、学生の予習・復習などに使っている。この動画データは、学生のみならず教授も自由に閲覧することができるため、教授陣がお互いの講義内容をチェックし、アドバイスし合うことで講義のクオリティも継続的に向上しているという。「開設当初からこの取り組みを行っているが、その効果は非常に高い」と、石島氏は胸を張る。

なお、録画されている講義の動画データは、修了後10年間以内という制限はあるものの、修了生も自由に閲覧できるようになっている。つまり修了後も、これらの動画資料から最新技術動向などの知識を得て、仕事にも役立てることができるのだ。反対に、講義の内容が古く、現場とのギャップが大きいと感じた場合は、教授にフィードバックすることも可能だ。こういった外部からの検証も、クオリティ担保に一役買っているのだろう。

 

教育効果の高いPBL型教育
産業技術大学院大学での実践はアジアの教育にも寄与

 真に現場で役立つ人材をどう育成していけばいいのかということは、大学にとって大きな課題だ。学内という閉じた世界だけでいくら検討を重ねても、現場のニーズを正しく理解することは難しい。

そこで同校は、「運営諮問会議」を設置している。「運営諮問会議」とは、(1)産業界のニーズを的確に把握し教育内容に反映する、(2)産業界と連携し効果的な教育研究を実践するーーという2つの目的を実現するために作られた組織。企業経営者や産業分野の専門家などのメンバーで構成されている。

運営諮問会議は、産業界から見た教育カリキュラムの妥当性や修了生のキャリアパス、教員の研修、教育運営体制など、広範な課題について提言する。最近では、新しいカリキュラムの開発や学修環境についても討議されたとのこと。こうした提言が教育現場で活かされるよう工夫している。

また、この運営諮問会議では、PBL(Project Based Learning)型教育で実施するプロジェクトについても検討・提案を行っている。

PBL型教育とは、数名の学生でチームを作り、実務の業務に近い1つのプロジェクトを完成させていくプロセスの中で、実社会で役立つスキルやノウハウを取得していくという教育プログラムだ。成果物やそのプロセスにおける活動が評価対象となっており、チームごとに複数の指導員を配置する。

PBL型教育は教育効果が高いものの、実施するにはかなりのコストがかかる。そのため、実際に取り組みを始めた教育機関は世界でもさほど多くはない。同校のようにPBL型教育を多くの教育機関が実施できるようになれば、プロフェッショナルをこれまで以上に効率的に育成していくことができるようになるはずだ。

また同校では、個々の学生が取得した能力・スキル・業務遂行能力を証明するため「ディプロマ・サプリメント」という文書を交付していることでも知られている。この文書を使うことで、自分自身がどのような知識やスキルを持ち合わせているのかを証明することができるため、キャリアアップや就職活動などでも利用できる。ヨーロッパでは導入が進んでいるが、プロフェッショナル教育分野では世界初の取り組みとなる。

産業技術大学院大学では人材教育を発展させ、世界各国に普及させていきたいと考えている。そのための国際組織が「アジア高度専門職人材育成ネットワーク(APEN)」だ。実は石島氏は、その会長もつとめている。

「最近ではアジア各国からその活動が認められ、東南アジア諸国連合(ASEAN)などから専門職人材を育成する教育システムや、各国共通で利用できる企業評価指針の開発なども依頼されている。当校での実践はアジアにも寄与し始めている」と石島氏。

産業技術大学院大学ができてから10年。その取り組みは先進的で実践的なものばかり。その活動は、世界を舞台に広がりつつある。

 

<取材後記>

 高度専門職人材の育成には時間がかかる。短期間に集中して学ぶことができればいいのだが、その時間を確保できるかどうかもわからないという技術者は少なくない。同校はそういう技術者に対して、科目等履修生の制度を利用し、学びやすい環境を提供している。

同校の科目等履修生は、AIIT単位バンク登録生と呼ばれ、習得した単位を蓄積しておくことができる。正規の学生として同校に入学した際には、蓄積している単位を既修得単位として認定するとともに、単位数に応じて授業料も減免される。この仕組みにより、実質7年間に及ぶ長期間の履修を実現しているのだ。

学びたい意欲はあるものの、ビジネスやライフスタイルへの影響は最小限に抑えたいというニーズに合致する制度となっているのだ。

何が求められているのかという問いに真摯に向かい合い、その効果が最も得られる方法を常に模索しているからこそ、AIIT単位バンクといった仕組みやPBL型教育の実践を行うことができるのだろう。


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