日本に近代の幕開けを思い知らせた事件は1853年の黒船来航だった。その15年後に成立した明治政府は当時の世界情勢の変化に覚醒し、日本が進むべき方向について明確なビジョンを掲げ、必要な政策を断行した。
欧米先進国に追いつくことを目指し、富国強兵・殖産興業を国家目標に掲げ、産業競争力の強化、その基礎となる教育水準の向上、政治・経済・社会体制の近代化等に注力した。1945年に太平洋戦争での敗戦を経験したが、その挫折も見事に克服し、1980年代、我が国はついに明治維新以来の悲願である先進国へのキャッチアップを実現した。
国家目標を見失い迷走を続ける日本
しかし、その後、日本は長期にわたり低迷する。もちろんバブル経済崩壊および金融危機という経済面の悪影響も大きかった。しかし、それ以上により根本的な問題だったのは国家として目指すべき目標を失い、進むべき方向が分からなくなったことにある。
本来であれば、国家目標は政治家が示し、官僚がその目標達成のための戦略と戦術を練る。そして、民間企業が経済活動の主役として国家経済をリードする。
ところが、日本はあまりに長期にわたって先進国へのキャッチアップという国家目標が変わらなかったため、新たな目標を立てるニーズが乏しかった。すでに国家目標が達成されて次の新たな目標を立てることが必要になっているにもかかわらず、日本の政治家はそれを考え出す力が衰えてしまっていた。
不動の国家目標の下での政策運営は、戦略と戦術を考える優秀な官僚に依存しているだけで大きな支障は生じなかったため、ほとんどの政治家は前例踏襲型の官僚頼みの政策運営しかできなくなってしまった。
先進国にキャッチアップした日本が次に考えるべき国家目標は先進国の一員として世界の平和秩序形成および経済発展に貢献することである。先進国として対等の立場にある以上、他国のサポート役としてだけではなく、日本が自律的な形で世界に貢献するべきである。
その思考と行動の前提には、日本としてどのような世界秩序のあり方が望ましいと考えるのかという世界ビジョンと、日本自身の国家ビジョンが必要である。
しかし、戦後の復興以降、日本は安全保障面でも経済面でも米国に依存し続け、それが奇跡的な成功をもたらしたことから、その間に国家としての自律性が低下してしまった。
本来自律的な思考で世界および日本の将来ビジョンを考えるべき政治家の大半がその思考を放棄し、米国依存一辺倒の外交・安全保障政策、グローバルな市場競争に無頓着な内向き志向の経済政策運営を続けてきた。
日本の政治家が米国を訪問しても、米国の政治家や有識者に対して自らの世界観を示して議論する政治家はほとんどなく、米国が何を考えているのかを一方的に聞いて、それを日本に伝えるだけの政治家が大勢を占めていると言われている。これが戦後の日本の姿を如実に示している。