2011年3月11日に福島第一原発事故の取材を始めて以来、私がずっと問い続けている疑問は「なぜ原発周辺の住民避難は失敗し、多数が被曝するという最悪の事態になったのか」である。本欄で報告してきたような、フクシマの地元市町村長や被災者住民、当時の政府関係者(首相官邸、経済産業省と原子力安全・保安院、原子力安全委員会など)への取材すべては、その問いへの答えが知りたいがゆえである。取材すればするほど、政府が準備していた住民避難のための法律や制度、組織といった備えは「何もないのに等しい」くらい甘いものだったことが分かってきた。

 すると今度は「そういった避難体制の不備を指摘して、政府に危険を警告した人はいなかったのだろうか」という次の疑問が湧いてきた。これまで、原発災害を警告していた人を見つけ出すたびに本欄で紹介してきた。政府内で「ERSS(緊急時対策支援システム)/SPEEDI(緊急時迅速放射能影響予測ネットワークシステム)」などを設計した松野元さん(「福島第一原発事故を予見していた電力会社技術者」)や、PBS(プラント解析システム)の開発に携わった永嶋國雄さん(「巨額の予算が水泡に帰した事故対策システム」)はその一例である。

 そうした取材で分かったのは、原発事故に対応する「原子力防災」という専門分野が存在することだ。そして、それは正常に作動している原発そのものを研究する原子力工学とは、まったく違う分野である。別の専門家がいて、別の専門知識が要求される。そんなことが分かってきた。3.11が進行していた時の政府中枢には、そんな「原子力防災」のエキスパートはいなかった。招集もされなかった。そしてその後の事故調査委員会報告にも、そうした専門家の知見は反映されていない。

『チェルノブイリ原発事故20年、日本の消防は何を学んだか?―もし、チェルノブイリ原発消防隊が再燃火災を消火しておれば! 』(森本宏著、近代消防社)

 最近になってまた、そうした原発事故と住民避難の危険を警告していた人がいることを見つけ出した。2007年に『 チェルノブイリ原発事故20年、日本の消防は何を学んだか? ―もし、チェルノブイリ原発消防隊が再燃火災を消火しておれば! 』(近代消防社)という本を出版した森本宏さん(84)である。1954年に関西大学法学部を卒業し、神戸市の消防士になった。市内のいくつかの消防署長を経て1990年に退職し、消防時代の専門分野である防火管理やパニック論について本を出版している。

 『チェルノブイリ原発事故20年』は、福島第一原発事故前に書かれたとは思えないほど、原発事故の現実を的確に予言している。チェルノブイリ原発事故、スリーマイル島原発事故や「もんじゅ」ナトリウム冷却材漏れ事故、東海村臨界事故などの事例を分析して、日本の原発防災体制、特に住民避難体制が甘すぎることを警告している。一例として、93ページには次のような趣旨が書かれている。