この原稿はロシア極東の玄関ウラジオストクのホテルで書いている。今週末、当地で日露関係者が集まったウラジオストク・フォーラムへの出席を許されたのだ。ロシア太平洋側を訪れるのは初めてだが、ここはロシアと中国と朝鮮半島が出会うアジアの街だ。というわけで、今回のテーマは中露朝関係である。

ウラジオストクと海参崴

ロシア極東で世界最長の斜張橋が完成、APECサミット開催を前に

ウラジオストクとルースキー島をつなぐ世界最長の斜張橋〔AFPBB News

 ウラジオストクという名の由来はロシア皇帝の「ヴラジェイ・ヴォストーカム(東方を征服せよ)」なる命令だそうだ。

 1860年の北京条約でウスリー川東岸地域のロシア帝国帰属が確定した。以来ロシアは一貫してこの地に太平洋艦隊基地、海軍工廠、商漁業港などからなる巨大施設を建設・維持してきた。

 一方、ウラジオストクは中国語で「海参崴(hai-can-wei)」という。海参とは海産物の海鼠(ナマコ)であり、崴とは平坦でない場所だから、海参威とは「海鼠が丘」という意味だ。実際この美しい港町にはやたら坂が多く、誤解を恐れずに言えば、「ロシアに占領されたサンフランシスコ」というイメージが一番近い。

ウラジオストクのChinaCity

 今でこそロシア沿海州の一部だが、1860年までこの地はマンジュ(満州)地方の北辺だった。

 あまり知られてはいないものの、現在のロシア沿海州と中国東北三省にほぼ相当するマンジュ地方は、当時から山野に高麗人参が自生し、海浜では海鼠が採れる、中国人には垂涎の地であったらしい。

 それはマンジュ地方が、当時の中華市場で珍重された辺境天産物である高麗人参(山参)、黒テンの毛皮、干し海鼠(海参)などの産地だったからだ。特に、明代は黒テンと高麗人参が極めて収益性の高い交易品だったらしい(より詳しくお知りになりたい向きには原暉之著「ウラジオストク物語」をお薦めする)。

女真族のヌルハチ

 これに目をつけたのが建州女真出身で愛親覚羅一族であったヌルハチだ。マンジュ国を建てた彼はこれらの特産品を中華市場に輸出し始めた。さらには、別ルート開発で交易を独占し莫大な利益を上げ、ついには、華北に侵入し清朝の創始者にまでなった。彼は女真族のスーパースターなのだ。

 華北から遼東半島の北を通ってウラジオストク方面に抜ける「マンジュ」ルートは、昔から莫大な富を約束する北東アジア交易の主要幹線だった。

 ちなみに、これとは別に、遼東半島から南下しピョンヤン、ソウルを通り南部に抜ける「コリア」ルートもあったが、こちらは「本線」ではなく、あくまで「支線」だったようだ。