中国人は基本的に人権意識が低い。今後、急激に人権意識が高まることもないだろう。
およそ100年前、清王朝の打倒を目指す孫文は「三民主義」を唱えた。三民主義とは、「民族主義」「民権主義」「民生主義」である。
民族主義とは、文字通り民族の独立を意味する。民権主義は人民が民主主義の下で政府の権限を管理することであり、「主権在民」と同義である。民生主義とは社会の不平等を是正し、人民の利益を最大化することだと言われている。
一方で孫文は、言論の自由や報道の自由といった基本的な人権については、必ずしも明確に提起していない。
25年前に中国では、幹部腐敗の撲滅と民主化を呼びかける「天安門事件」が起きた。そのときに、大学生らは三権分立や基本的人権の尊重を政府に求めた。しかし、学生運動は政府によって武力で鎮圧された。そのあと、李鵬首相(当時)は談話を発表し、基本的人権とは生存権の保障のことであると強調した。
中国政府が取りまとめた「人権宣言」では、「生存権こそ主要な人権である」と唱えられている。生存権とは、衣食住について不自由のない生活をする権利を指す。
中国政府にとって、人権の中では生存権が最も重要であり、それ以外の人権、例えば言論の自由や思想の自由、報道の自由などは眼中にない様子だ。それらを尊重すると生存権が侵害されてしまう恐れがあるということのようだ。
共産党が建国してからの最初の30年間で数千万人が餓死したことを考えれば、生存権を重要視する姿勢は十分に理解できる。だが毛沢東の時代において、国民の大半を占める農民の生存権はほとんど守られていなかった。この事実について中国政府はどのように弁解するのだろうか。