なにをかしましく騒ぎたてるのか きみら 諸国の雄弁家たちよ?

 なにゆえ きみら 呪いのことばでロシヤをおびやかすのか?

 なにが きみらを憤激をさせたのか? リトワニヤの動乱か?

 やめにしてくれ。これは スラヴ民族同士のあらそい

 内輪の 昔からの 運命にさだめられたあらそい

 きみらが解決できる問題ではない。

プーシキン、「ロシヤを中傷するものたちへ」
河出書房出版『プーシキン全集1』より、草鹿外吉訳

(1)ロシア: ウクライナの不可分の一部

 最初に私の出自についてお話ししたい。今から200年ほど前、私のロシアの姓である「ストノーギナ」は、実は「ストノーガ」という古くからあるウクライナの姓だった。ストノーガというのはコサックの名前だ。つまり、地元の軍人と、ロシアの当局からもウクライナの当局からも独立した、ウクライナで最も自由な人々の名前だった。

 その後、私の先祖はロシアに移り住み、姓が少し変わった。ここで言いたいのは、私のように血が混じった人間はロシアとウクライナに大勢いるということだ。何世紀にもわたり、私たちは家族として暮らしてきた。常に友好的で相互理解があったわけではないが、それでも家族として生きてきたのだ。

 スラブ系民族だとはいえ、言ってみれば混血で、学校ではロシア、ウクライナ双方の作家や詩人の作品を読み、ロシア、ウクライナ双方の歌を歌い、ウクライナ人の友人を大勢持つ私のような人間にとっては、今の状況は非常に痛ましく感じる。

 また、欧米の政治家とマクロエコノミストの話がどれほど浅はかかということに驚きを禁じ得ない。彼らは頑なに、政治的な国境や経済制裁、民主主義と圧政など、二義的な問題ばかりについて語るが、一義的な問題は、ロシアとウクライナの血で結ばれた「家族関係」であり、今や10世紀以上にわたって私たちが共有してきた文化的価値観だ。

 長い歴史的見地、文化的伝統の観点から現状を見るために、ロシアの天才詩人プーシキンの言葉を冒頭で引用した。地政学や社会制度は大きく変わったとしても、文化的な角度から見ると、大した変化はないのだ。

 ウクライナ人が歴史のどの段階で劣等感を抱き、「ウクライナはロシアの一部と見なされるべきではない」などと言うようになったのか、私には分からない。現代のロシアがキエフから、つまり「キエフスカヤ・ルーシ」から始まった昔を思うと、両国の規模に関係なく、ウクライナ人は「ロシアはウクライナの不可分の一部と見なすべきだ」と主張する権利があるはずだ。

 この数カ月というもの、ロシアでは「エリートの沈黙」と呼べそうなことが起きている。もちろん、一部のアーティストは「平和に暮らそう」とか「我々は兄弟を殺す戦争を始めるべきではない」といったメッセージを発する演説やコンサートを行ってきた(私もその1つに参加した)。

 だが、ロシアの知識階級からは、ウクライナに対するウラジーミル・プーチン大統領の姿勢やロシア政府の行動への本格的な批判はそれほど出ていない。なぜか?

 ロシアの知識階級は、近代のリベラルな倫理観と伝統的な民族的価値観の間で引き裂かれているのだ。たとえロシア政府が取った一部の行動について政治的に意見が合わなくても、私たちは皆、キエフスカヤ・ルーシに由来する家族としての感情の低下に傷ついてきた。血のつながり、そしてウクライナとの長い関係における歴史と宗教の重要性から、ロシア人は最終的にウクライナのことを、ロシアおよびロシア文化の一部と見なすようになった。