最近は12月8日といっても、世間であまり話題にならないが、山本五十六が1941(昭和16)年のこの日にハワイの真珠湾を攻撃した。
若い頃の私はカナダに住んでいたので、12月7日が、その日だと思い込んでいた。それはあながち間違いではなくて、時差のために北米では7日だったのである。
戦史にも軍人にもまったく興味がなかったのだが、ある日、母がつぶやいた山本に関する一言は今でも鮮明に記憶に残っている。
「山本五十六が死んだときね、軍部はそれをなかなか発表しなかったのよ。でも、パパはマスコミにいたし、長官と同じ新潟の出身だったから、いち早く情報を入手してママに知らせに両国まで来てくれたの」
「えっ? まだママがお嫁にいく前だったの?」
驚く私に母はあきれたような顔をした。
「そうよ、あたしがあの狸親父と結婚したのは終戦のちょっと前だもの」
そんなことも知らなかったのかと咎めるような声を出した。しかし、母は私が小学校の1年生に上がった時分にはもう父と別居して、2~3年後には離婚した。
父親不在の家庭で育った私は、なんとなく母に結婚について尋ねるのをためらうような気持ちがあった。いつ、両親が結婚したのかも知らなかったし、そもそもあんなに相性の悪い2人が、3人の子供まで成したのも不思議だった。
戦後になって出版社を設立し、その経営が軌道に乗ると、愛人をつくって家庭を棄てた父を、母はいつも「あの狸親父」と憎々しげに呼んでいた。