歴史的に見ると、中国は自然に恵まれ概ね豊かな国だったと言える。時たま大量の餓死者が出た時期もあったが、それは自然災害が原因というよりも戦争や政治の失策によるところが大きい。

 近代に入ってから中国では幾度となく海外への移民ラッシュが起きた。故郷での生活に不満を持ち、海外に新天地を求めた人々だ。清の時代、移民が主に向かったのはマレーシアなどの東南アジアだった。中国からの移民を受け入れる国は、労働力不足を解消するのが主な目的だった。

 1949年、社会主義中国が建国されてから、国民の海外移民が原則として禁止された。共産党の立場としては、社会主義はこの世の中で最も素晴らしい社会制度であり、社会主義を見捨てる移民は社会主義の素晴らしさを否定するような行為であり許されるものではない、というものだった。

 しかし、実際の社会主義社会は政府が自画自賛するほど素晴らしいものではなかった。実際に、文化大革命(1966~1976年)の間に香港に大量の避難民が押し寄せ密入国した。1977年には、香港に逃れる「難民潮」が再び起きた。歴史的に「移民」と「避難民」は往々にして同意語だった。

 1978年、「改革開放」政策が実施されてから、難民潮はほぼ収まった。その代わりに、海外留学がブームとなった。初期の段階では公費留学がほとんどだったが、その後、私費留学生も加わった。政府は、留学期間が過ぎても帰国しない公費留学生に対して留学費用の返済を求めたが、実際に帰国したのは一部だった。私費留学生の多くはそのまま海外にとどまった。外国のパスポートを手に入れてからビジネスのために帰国する留学生もいたが、いつでも出国できるように備えをしている。

「自由」を求めるエリート留学生

 建国後、中国政府が学校教育のなかで最も力を入れているのは愛国教育だった。にもかかわらず、皮肉にも愛国教育で洗脳されたエリートは、何の躊躇もせず国を見捨てたのである。