ニッケイ新聞 2014年1月9日

 アマゾンの森林地帯にある集落「アイロン・ヴェーリョ」。ここには、唯一の住人として生活する日本人のナカヤマ・シゲルさん(65)の、枝葉を踏みしめる音だけが響く。

 この場所の歴史は、1694年にさかのぼる。アマゾン川最大の支流、ネグロ川沿いに最初に造られた集落「サント・エリアス・ド・ジャウー」が始まりだ。その数十年後、当時の宗主国ポルトガルによって「アイロン」と名付けられた。

 アマゾン地域は19世紀末から20世紀初頭にかけてゴム景気に沸いたが、アイロンはその間、アマゾン川流域における重要な商業拠点となった。しかし、時間とともに廃れ、現在は13年前から同地に住むナカヤマさんによって保護(保持)されている状態だ。

 アイロンで行われていた商業活動は、アイロンから約100キロ離れたイタペアス地区(アマゾナス州都マナウスから120キロ)に中心を移し、ノーヴォ・アイロン市が形成された。アイロンが「アイロン・ヴェーリョ」または「ヴェーリョ・アイロン」と呼ばれるようになったのはこのためで、現在はノーヴォ・アイロン市に属し、州が指定する保護区となっている。

 同地に残された数少ない遺跡や繁栄した時代の伝説を求めて訪れる研究者や観光客(大半が外国人)の案内をするのは、もちろんナカヤマさん。菜園で野菜を栽培し、釣りをして生計を立てる。孤独を紛らわすため、近隣集落の住民と会って話をしたり、テレビやラジオも見聞きしたりもする。公的機関から、保護のための援助を受けたことはない。

 「ここを見捨てたくない。自分はこの場所に魅了されているんだ」。ナカヤマさんはそう語る。

 福岡県の農家に生まれたナカヤマさんは1964年、16歳のときに両親と兄弟3人でブラジルへ移住、パラー州ベレンに住んだ。

 1970年代にマナウス市に移り、友人一人と一緒にネグロ川の沿岸に居を構えた。しかしその場所に公園が造成されたために、退去を余儀なくされた。その後放浪生活を送っていた折、ゴム景気の最後の時代に商業的に成功した「アイロン・ヴェーリョ」の名士ベゼーラ家の女性に、歴史的遺跡の保護を頼まれ、同地に移り住むことに。

 そこから遺跡の掃除をし、オランダの瓶、ポルトガルの瓦など、ゴムで繁栄した時代の名残ともいえる貴重品を収集し始めた。集落の模型も作り、毎年フィナードス(死者の日)には墓地を清める。

 月日が経っても、ナカヤマさんのべゼーラ家に尽くす思いは消えない。「(自分をここに呼んだ)彼女はここに生まれて、住んだ人。(自分が)出て行くと行ったとき、彼女は、もしあなたが出て行ったらこの場所は死ぬと言っていた。彼女は正しかった」と思い出す。

 かつてのパトロン、グロリアさんは昨年亡くなったが、ナカヤマさんは今でもベゼーラ家の写真を数十枚、壁に飾っている。「ここは国外でも知られている場所。ほとんど何も残っていないが、たくさんの歴史がある」。

(12月29日付フォーリャ紙より)

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