2013年も終わろうとしている。1965(昭和40)年生まれで巳年の私は年男だった。「4回目の年男で、どんな脱皮をしてみせるのか」と3月のコラムに勇ましいことを書いた。「脱皮」というほどの飛躍はできなかったが、家内安全・商売繁盛のまずまず充実した1年になったと思っている。

 今年中に起きた、私にとって1番大きな変化は、次男が小学4年生になったことだ。1~2年生の時は学童保育に入っていたので、帰宅時刻は月曜日から金曜日まで毎日午後4時だった。ところが、3年生になる直前に、「学童をやめたい」と言い出した。そのため、3年生のあいだは週5日のうち3日は午後3時に帰ってきた。つきっきりで遊んでやらなければならない年齢ではなかったが、やはり仕事にあてられる時間は多少減った。

 それが、4年生では週5日のうち4日が6時間授業で、帰宅は午後4時である。宿題も自分一人でするようになり、私が息子に関わる時間はずっと少なくて済むようになった。7月には、高校3年生の長男も野球部を引退したため、泥だらけのユニフォームを洗濯する手間からも解放された。洗濯機で洗っただけでは汗と泥の混じった汚れが落ちないので、深夜に洗濯板でストッキングやズボンをごしごしやっていたのも今となっては懐かしい。

 といった次第で、息子たちの成長に伴い、一家の主夫である私にかかる負担はかなり減った。おかげで執筆がはかどり、本を読む時間も増えた。料理にも、一手間加える余裕ができて、このところさらに美味しくなったと評判である。

 そんな好いことずくめの1年だったけれど、12月に入ってから喪中はがきが続々届いたので驚いた。主に大学時代の友人たちからで、自身や連れ合いの親が亡くなったという。80歳前後の行年が記されていて、同じくらいの年齢の両親を持つ私はその日が来るのができるだけ遠いことを願いつつ年の瀬を迎えている。

 われわれ夫婦が存分に働けているのも、双方の両親が4人とも元気にしてくれているからである。私の妻は小学校の教員をしているが、この数年老親介護のために早期退職する同年配の教員が後を絶たないという。やむを得ないこととはいえ、ただでさえベテランが不足しているところに早期退職をされては、教育現場の力が落ちるばかりだと、10月で52歳になった妻は嘆いている。