AsiaX(アジアエックス) 2013年6月17日

 チャンギ空港のさらに北、シンガポール日本人学校小学部チャンギ校にほど近い一帯は、第二次世界大戦の暗い時代をこの地で過ごした人々のことが今に語り継がれています。

 第二次世界大戦前は、香港からニュージーランドまでのイギリス連邦諸国を守る英国空軍の基地として、イギリス人を中心に外国人が多く住んだ地域でした。

 シンガポールが旧日本軍により陥落し、その占領下(1942年~1945年)昭南島と呼ばれた間、チャンギにはイギリス人やオーストラリア人を中心に民間人および兵士が捕虜(Prisoners Of War/POW)として収監されました。チャンギ刑務所に4000人、旧兵舎には5万人の捕虜がいたといいます。

歴史を未来に語るチャンギ博物館

礼拝堂の中央に据えられた真鍮製の十字架は、瓦礫や鉄くずを材料や道具に使ってオーストラリア人の Harry Stodgen 軍曹によって作られたもの。来館者のメッセージや、日本の学生らによる千羽鶴などが掲げられ、静かに世界平和を祈る場となっている

 現在のチャンギ博物館は、チャンギ刑務所横から2001年に移設され、中庭にある簡素な礼拝堂は、捕虜たちがチャンギ刑務所の中で祈りを捧げたチャペルのレプリカ。

 チャンギ刑務所の現在の囚人たちによって1998年に再建されました。オリジナルのチャンギ礼拝堂は、終戦後解体されて現在はオーストラリアの首都キャンベラにあります。

 チャンギ博物館は、国籍を超えて第二次世界大戦という苦難を経験した全ての人に捧げられています。

 旧日本軍占領下の過酷な環境の中を生き抜いた人々の様子がインタビューや手紙を中心に赤裸々に語られ、重労働、餓え、感染症に悩まされた日々や、特に華人らへの旧日本軍による数々の暴行の様子も展示に含まれます。

チャンギで終戦まで過ごした仲間たちの写真と、50年以上経って再訪したベテラン兵の写真。多くの遺族や友人たちがその足跡をたどりにやってくる

 また、チャンギの捕虜たちの多くが「死の鉄道」と呼ばれたタイと当時のビルマをつなぐ泰緬連接鉄道の建設現場に送られ、終戦近くにコレラやマラリアを病み劣悪な環境を生き抜いて痩せこけた姿になってチャンギへ戻ってきました。その壮絶な状況も目の当たりにするでしょう。

 後半、病から奇跡的に回復した捕虜が描いた壁画や、市民の捕虜による愛する家族を思い紡いだキルトの複製を見ることで、収容中、捕虜たちが生きる希望や士気を維持した逞しさを感じずにはいられません。

 また、当時の日本人の中にも人道的な行動をとり英雄として名を残した人々の紹介も。見学中締め付けられる胸中が、ふと救われる気持ちになります。