マインツがドイツのどこにあるのかを知っている日本人は少ない。ラインラント=プファルツ州の州都で、位置的にはフランクフルトの少し西、人口20万の小ぢんまりとした町だ。

 大きな大学があるため、人口の4分の1が学生だというから、平均年齢は若い。ここでライン川とマイン川がぶつかるため、昔から通商で栄えたが、その代わり、ときどき洪水にも見舞われた。

 古くローマ時代には、北征を試みたローマ人がここに軍事拠点を築いた。軍隊のあとには商工業者が続くので、古代のマインツは大いに繁栄したようだ。帝国末期には、ローマ帝国の属州ゲルマニア・スペリオルの州都となっている。

貧しい生まれからのし上がった男が執念を燃やした権力の象徴

 そのマインツを私が訪ねたのは、しかし、古代ローマ史のせいではなく、そのあと、中世になって建てられた大聖堂を見たかったからだ。

マインツのオールドシティでは美しい街並みが見られる(写真提供:筆者、以下同)

 中世のヨーロッパを支配していたのは、ローマ教皇とドイツ帝国の皇帝である。ドイツ帝国は、のちには神聖ローマ帝国と呼ばれるようになり、最盛期には、北イタリアやフランスの東南部をも含む強大な領土を誇った。

 ドイツ王がローマ教皇から帝冠を受けて、神聖ローマ帝国の皇帝になるという仕組みが長く続いた。ただし、政教は全く分離しておらず、ドイツ皇帝は、政治に口を出すローマ教皇と常に権益を争っていた。

 940年、ヴィリギスは北ドイツで自由民として生まれた。自由民といっても、農奴のように隷属はしていないというだけの話で、もちろん貴族でもない。どちらかというと、貧しい境遇の生まれだ。

 彼は聖職者の道を歩むが、おそらく権力の在り処を嗅ぎ付けるのがうまかったのだろう、29歳ですでにドイツ皇帝に仕え、975年にはローマ教皇によってマインツの大司教に任命されている。

 マインツは、すでに8世紀の半ばより首位大司教の座を保っていた。キリスト教の世界では、ローマに次ぐ第2の地位だ。つまり、マインツの大司教に任命されたということは、ヴィリギスは35歳にして、ローマ教皇の代理としてアルプスの北側の全信徒を統括するという、限りない権勢を得たことになる。