5月8日付の人民日報に、中国社会科学院に所属する張海鵬氏と李国強の2名が執筆した「馬関条約と釣魚島問題」と題した論文(以下、「張・李論文」)が掲載された。
“馬関条約”という聞きなれない名称は、1895年に結ばれた日清戦争の講和条約である下関条約のことを指す。A4版にしておよそ4ページにわたって書かれたその論文は、中国の識者の間でも話題になった。
張・李論文は、「日本政府の条約の中に、台湾附属の島の処理を曖昧にしようとする意図が見える」と断じ、尖閣諸島は日本の領土ではないことを主張するにとどまらず、沖縄について「歴史上の懸案であり、未解決問題」とも主張している。
中国では“尖閣問題”をどんどんと肥大化させ、今や“沖縄問題”にまで発展させている。
恐ろしいのは民間への浸透の速さだ。中国では、ネットメディアが、人民日報や新華社など大手国営メディアに対して対価を支払い“転載権”を得ている。ひとたびネット上に記事が転載されれば、高い伝播力によって一瞬にしてそれが既成事実になってしまう。
その浸透力は強大だ。今では中国の一般市民はたいてい「沖縄は中国のものだ」と思い込んでいる。ただし、その認識は今に始まったことではない。この論文が発表される以前の2012年9月の反日デモのときも、「沖縄返還」の横断幕を掲げたデモ隊が出現していた。
尖閣諸島は「台湾の附属島嶼」に含まれていたのか?
1971年に中国は尖閣諸島の領有権に関し、「日本は中日甲午戦争(日清戦争)を通じてこれらの島嶼(魚釣島などの島嶼)をかすめとり、清朝政府に圧力をかけて、1895年4月、『台湾とそのすべての附属島嶼』および澎湖列島の割譲という不平等条約――『馬関条約(下関条約)』に調印させた」(『戦後中日関係史』 林代昭著)とする外交部の声明を発表している。
尖閣諸島を巡る現在の日中間の対立は、この「台湾とそのすべての附属島嶼」に尖閣諸島が含まれていたのか否かが大きな争点となる。
張・李論文は、下関条約第2条に基づき接受された“台湾全島及び附属の各島嶼”について、「なぜ曖昧な説明しかないのか」という問題提起から始まる。
実は、張・李論文には“下地”があると思われる。日本の国会図書館外交防衛課に所属する濱川今日子氏が2007年に発表した「尖閣諸島の領有をめぐる論点」と題する論文(以下、「濱川論文」)が張・李論文のベースになっていることが見受けられるのである。というのも、張・李論文は、濱川論文中の「台湾受け渡しに関する公文」において9行にわたって書かれた記述を「日本の学者濱川今日子の論文中にも見ることができる」とし、中国語に訳して掲載しているのだ。
その部分とは、1895年6月2日に日本の水野弁理公使と清国の李経方全権委員との間で行われた「台湾附属の各島嶼にどの島嶼を含むのか」を巡るやり取りである。「台湾受け渡しに関する公文」に署名する際に、その点が議論の焦点となった。