後に夫となるスウェーデン人男性と出会ったのは、ロンドンでジャーナリズムの学校に行っている時だ。2人で日本に行ったりした後、スウェーデンに住むことにし、南端のマルメにアパートを借りた。マルメ・コミューンはスウェーデン国内でも一番外国人が多い地域で、住民の3分の1は外国で生まれており、10%は両親の少なくとも一方が外国出自だ。

 アパートの部屋を探している時、不動産の担当者が「ローゼンゴードがいいのじゃない?」「ローゼンゴードにぴったりの部屋があるわよ」と執拗に勧めてきた。

スウェーデンであってスウェーデンでない「パラレルワールド」

 マルメ内でもローゼンゴードは特に外国人の居住者が多い地域。「子供がちゃんとしたスウェーデン語が話せなくなる」といった理由でそこから逃げ出すスウェーデン人も多く、その地はスウェーデンであってスウェーデンではない一種の別世界――「パラレルワールド」になっていた。

 夫はスウェーデン生まれだが両親は旧ユーゴからの移民なので、髪も目も茶色だ。スウェーデン語が話せない私は明らかに外国人。ブロンドで青い目をした人たちの社会から締め出し隔離するだけの「資格」が私たちにはあったのだろう。

 私はマルメの学校でスウェーデン語を学んだ。クラスメイトは、当然ではあるが、ほぼ全員が外国出自だった。アリというソマリア出身の少年がいて、最初の日にたまたま隣に座ったのがきっかけで、何となく仲良くなった。

 彼はいつも私に、「鉛筆貸して」「プリント貸して」と言い、なかなか返さないので、彼にイライラしてはいたのだが、彼はいつも私に頼り、モノを借りていた。「日本語教えて」とか「髪の毛切って」と言われたこともある。

 彼は20代の初めくらいで、私とは10歳以上の年齢差があった。私に「お姉さん」とか「お母さん」とか、そんな風な親しみを感じてくれていたのではなかっただろうかと思う。

 学校では、数人のグループで議論してリポートを書くといった課題も多かったので、教室を離れた場で、クラスメイトと互いに個人的な話をする機会も多かった。

ソマリアから命からがら逃れてきたアリ

 アリは聞かれるまま、ぽつぽつと自分のことを話した。13歳の時国を出たこと。戦闘が激化し、少年が拉致され強制的に戦闘に従事させられるようになったので、彼の母が彼を出国させたこと。5歳年上のいとこと一緒に、トラックの荷台に乗って3週間砂漠を走ったこと。リビアの海岸までたどり着き、欧州行きのボートを待っていたこと。

 ゴムボートが到着した時、大勢の人が殺到して乗り込もうとしたためボートが転覆し、泳げなかった彼のいとこが溺れて死んだこと。漂流中、水も食糧も尽きて人々が海水を飲み始め、ボートの中で大勢が死んだこと。