腕が立つ職人になるには、優れた感性とともに、長い時間の継続と研鑽が不可欠だ。それは、一体いつまで続ければいいんだろうか。

 例えば、人間国宝のような名人でも、インタビューなどで「凄いですね」なんて水を向けられても「いやぁ、まだまだです」って言ったりしてるのを見かけることがある。

 多分これは照れ隠しや謙遜なんかじゃないって、おれは思うんだよ。

 なぜなら、人間国宝くらいの腕前に到達した人は、自分のやっている分野の奥深さが見えるから、自分の感性や技術よりも高い次元、つまり、まだまだ先があるのを実感している。だから、どうしても謙虚になるんだ。

 人間は若いうちは威勢がよかったり、粋がったりして、自分を大きく見せたがるものだ。だが、一つのことにのめり込み、その奥行きの深さを知ると、人は次第に謙虚になっていくものなんだよ。

 職人の技というのは、見る人が見ればその仕事ぶりが分かってしまう。ましてや自分がつくったものが後世に残るとあっては、おっかなくって粋がってなんかいられないんだな。

満員電車に乗っていては分からない情報

 ウチには毎日、仕事やら世間話をしにいろいろな人が来るんだけど、おれは気の知れた人たちと食事に行くのが何より楽しみなんだ。

 そうやってレストランやホテルで食事をする時は、大事な話がある時以外は、必ず大部屋の席を予約することにしている。

 大部屋だから周りには他の客がいっぱいいる。すると、旨そうなのを注文してる客がいると次回はそれを頼もうとか、景気のいい客の容姿や雰囲気を観察できる。

 そういった世間の前線に身を置くことで、世の中がどの方向に流れているのかが分かるようになるんだ。金まわりがいいのはどういう客なのか。どんな風体で何をやっているのか・・・。そういうのは、満員電車に乗っていては絶対に分からない貴重な情報の1つだよ。

 時代を先取りするヒントなんてのは意外とどこにでも落ちていて、キーワードとなる情報は実はいろんなところに転がっているものだ。だから、感覚のアンテナを張り巡らしていれば、結構いろんな情報や流れをキャッチできる。

 もし、その情報がたとえ些細な小さなことであったとしても、その情報の中に、実はとても大きなヒントが隠されていることもあるんだ。

繁盛を長続きさせるのは至難の業

 外食して感じるのは、料理の世界は実に様々だが、なんと言っても奥が深いのは日本料理だ。寿司、天ぷら、うなぎなど、極めるとなると相当の年季を積まなければ、高い技術は習得できない。

 年季の入った技術ってのは、見ていて惚れぼれするね。手さばきが鮮やかで見事なのもさることながら、無駄な動きがまったくなくて、呼吸のようなものに一定のリズムがあったりして、その所作の中に、作法とか兵法にも通じる完成された美しさのようなものが潜んでいるんだな。