南国新聞 2013年1月1日

 日本と日本人に親密感を抱き、好意的で、快く接してくれる人。いわゆる親日派がマレーシア人に多いとよく言われる。日本の関係団体の調査によると、日本人に尋ねたロングステイ先人気番付で連続6年(2006-2011)でマレーシアは第1位にあげられているが、人気の理由のひとつが親日派が多いこととか。

 シンガポールとマレーシアにおよそ40年近くも住んでいる南洋太郎も、この調査結果はおおむね正しいと思う。この両国だけでなく、旅をしてみるとわかるが、東南アジア諸国はおしなべて親日派が多いように思う。

 ただ親日的の程度は、30年~40年前と今のシンガポール、マレーシアには雲泥の差がある。

 これは長期滞在経験者の日本人や国際結婚して両国に渡った日本人女性の著した体験本や両国の日本人会の会報に掲載されているコラムや座談会の記事を読むとわかるが、1970年代までは戦争中の諸々の出来事があり親日派でない人々の方が多数派だったのである。

 1980年代に入り進出する日本企業が増え、当然駐在員が増えていくに連れて日本人コミュニティも大きくなり、駐在員とそのファミリー及び長期滞在の自営業者、国際結婚の永住者の方々のローカル社会、マレーシア人との接触面が拡大していったのである。これがローカルの日本人、日本に親近感を強めたことは間違いないと思う。

 「日本は戦後の焼け跡から奇跡的な発展を遂げて世界の経済大国になった。そのバイタリティは凄い」、「アジアで西欧と比肩できるのは日本だけで、同じアジア人として誇らしく思う」。「日本はいわばアジアの兄貴分だ」、「日本の製品--電気製品や車などなど--凄い性能が良く故障が少なく、高品質で好きだ」、「日本人はいろいろな素晴らしい製品を創った。非常に優秀だ。他のアジア人はとてもそのマネは出来ない」等々。

 以上のようなお褒めの言葉を、1980年代中頃からバブル崩壊まで-1990年代初頭までは、いろいろなシンガポール人とマレーシア人から言われたものである。

 それゆえ、駐在員や長期滞在の自営業者、国際結婚の永住者ではない高等遊民を自負していた我が輩などはそうした皆さん方には後光がさしているようで、遠くから尊敬のまなざしでみつめ、また感謝の言葉をおかけしようかと何度真面目におもったことか。

 つまりおおざっぱに言えば、日本企業の進出ラッシュで日本人のステータスがあがり、親日派が増えて、イミグレでも日本の旅券とわかれば、けっこう親切にしてもらえたのである。

 アジア金融危機(1997-1998年)が終焉して数年たったころのお話しだが、ある時、長年日本語教師兼観光ガイドをしているローカル女性からこんな話を訊いた。

 日本人ツアー客数人を案内してKL市内の路線バスに乗車したら、しばらくして、日本人一行とわかったのだろう、十数人いたローカル乗客の中から拍手が起きたのだ。それも最初は数人、すぐに全員が大きな拍手を一行に向かってほほえみながらしたのである。一行は眼まん丸、「なぜ拍手を受けたのか」とんと分からない。

 ガイドの女性が最初に拍手をした男性に理由を聞くと、「アジア金融危機で絶体絶命に陥ったマレーシア経済を日本がお金を出して救ってくれたから。そのお礼」とのことだった。それを一行に伝えると、嬉しくなった(日)(馬)の見知らぬ同士が次々と握手をしたという。「乗車時間はそう長くなかったのですが、ツアー客の皆さんは大変感激していました」と彼女は話してくれた。

 確かに、日本は資本規制政策を発表してIMFはじめ多くの国から敬遠されたマレーシアに対して好意的な立場をとり、資本規制政策を発表した直後の1998年10月にマレーシアへの支援を決め、実行した。ともあれ、思いもかけぬイイ話に、太郎も非常に感動したことを覚えている。

(南洋太郎)

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