ニッケイ新聞 2012年7月7日~28日

ラーメンのブラジル導入

 サンパウロ市にラーメン店舗が開店され、早いものでもう約10年、ここの人々の心をつかみ、好んでラーメンを食べ、ハシとレンゲを使い、麺とスープを一緒に食べる食文化が確実に拡大してきているように見受けられる。

MNプロポリス本社工場

 焼きそばは気軽に店でも家庭でも料理する事が出来、ブラジル社会に「YAKISSOBA」の名称で浸透し、日本食の一部と認識されている。

 ラーメンはブラジル人には未知の世界で、自然な味、風味で麺及びスープの要求品質「味」が非常に厳しく、日本の国民食とも言われ、ラーメンの、美味しさ、健康に良い、この食品にMNプロポリス社(MN Propolis)は2010年から調査、研究を行ってきた。

 この業界に大企業が進出する事は難しい事と思われ、全ての食材を国産でまかない、日本と同等以上の味を得るまでに技術開発が可能になった。

 味噌屋の名称で、「みそラーメン」では日本の最高品質と技術を誇る、ラーメン専門会社「Try社」(田所史之社長)と技術契約を締結し、又ブラジルに於けるラーメンブームの先駆者である「ラーメン和」(高木和博社長)とは、共に稲盛哲学を学ぶ盛和塾のソウルメイトである。

 両社の応援に支えられ、政府の許可、生産設備、及び従業員教育などの準備も完了し、2012年7月よりラーメンの生麺及び濃縮スープ(たれ)を市場に送り出す計画である。本社の開発部の協力を得て、「ラーメン文化のブラジル普及を目指し」を、次の通り紹介していきたい。

ラーメンの歴史

 麺とは、小麦粉の芸術作品と言われ、長い歳月、知恵でたどった麺の道、いわゆる麺ロードと言えよう。小麦の歴史は紀元前7000年頃にメソポタミア(現在のイラン周辺)で栽培化され、そこから世界各地に広まっていった作物であると考えられている。

 小麦の調理としてパン類は主にヨーロッパで完成し、又麺類はアジアで特に中国で完成されたと言われる。日本の麺文化のルーツは、鎌倉時代(1185年~1333年)の文献に麺のことが記載されている。

 日本のラーメンの歴史は明治43年(1910年)東京浅草に「来々軒」が開業、その中華料理店が「しなそば」というメニューを登場させ、あっさりした醤油味の細めの麺、トッピングはチャーシュー、ナルト、ねぎ等がラーメンの誕生といわれる。

 ラーメンの名称は、大正11年(1922年)にさかのぼる、北海道の札幌市に「竹屋」という食堂が開業、のちに支那料理「竹家」に改称、そこの店主大久保昌治氏の「たつ奥様」が、厨房の中国料理人の大きな声で「好了、ハオラー」と告げるアクセントが気に入り、印象に残り「ラーメン」にしたと伝えられている。